このブログを読んでいる方にはおなじみ「神戸市境界石」探索シリーズ。
現長田区一里山町の山中にある石柱の少なくとも2本には天辺、あるいは上部に鋼製プレートが貼り付けられており、これは明治時代の境界杭が現在も利用されていることを示している。
ただ、この境界杭の管理を誰が行っているのかがわからないので、さっそく問い合わせをしてみました。
森林整備事務所に問い合わせてみる
六甲山中には明治期の境界標がいくつかありますが、その中で長田区一里山町に現存する境界標にプレートが付けられています。このプレートは比較的新しいものに見え、その管理はどちらがされているのでしょうか。神戸市の管理なのか、はたまた個人の方なのか。プレートの感じから個人には思えませんが…。お忙しい中恐縮ですが、上記内容について何かしらご存知であれば教えていただければ幸いです。
森林整備事務所からの回答がこちら
お問い合わせの境界杭は国土交通省近畿地方整備局六甲砂防事務所所有地(グリーンベルト)の用地境界杭(用地買収以前からあったもの)で、買収後に番号プレートのみ貼り付けたようです。(プレート設置時期は不明とのことです) 管理は国土交通省ですので、プレートに関すること以外のお問い合わせがございましたらが、六甲砂防事務所までお願いします。
砂防事務所に問い合わせてみる
管理は六甲砂防事務所というわけで、3つの質問で問い合わせてみることにしました。
- この「明治時代の境界杭」にプレートが貼り付けられた石柱はいくつかあるのでしょうか。また、そうした石柱があればその場所はどこになるのでしょうか。(個人的に六甲山を中心とした山歩きの中で長田区一里山町の山中で2本確認しております。)
- よく見かける天辺が赤いプラ製の境界杭を別途すぐそばに設置するのではなく、古い境界石を流用した理由はどこにあるのでしょうか。(古い石柱を抜くのが忍びないから、あるいは単に手間だからetc.)
- グリーンベルト事業について、登山道の看板などで目にしますが、行われているエリアの外周には何かしらの杭が設置されているのでしょうか。そうであればどのようなタイプの杭なのでしょう。
上記1から3について公開できない情報もあるかと思いますが、可能な範囲でご回答いただければ幸いです。
六甲砂防事務所からの回答がこちら
1.について
六甲山系グリーンベルト事業は、平成7年兵庫県南部地震で、多数の斜面崩壊が発生しその後の大雨などによる二次的な土砂災害の発生が懸念されたことから、これまでの土砂災害対策に加え、『災害に強い山づくり』、『自然豊かな森づくり』を目標として新たに始めた取り組みです。そのため、ご質問にある明治時代に設置された境界杭か否かについては、当方では把握していないのが現状です。事業用地を取得した際に既に設置されていた境界杭について、その設置時期を確認することは目的ではないためです。設置時期は不明ですが、プレートが貼り付けられた石柱は現在把握している限り3箇所に存在します。設置された石柱の座標値は以下のとおりです。Googleマップ等に座標値を入力頂ければ概ねの場所は分かるかと思います。
※現地に設置されている杭を確認される場合、危険を伴う場合もありますので、ご注意お願いします。
- 一里山813 34°41’05.97355″N,135°07’36.12408″E
- 一里山B13 34°41’15.03438″N,135°07’32.36634″E
- 一里山303 34°41’14.11161″N,135°07’59.33834″E
2.について
境界杭としての機能を有しているものについては、交換をする必要がないため流用しています。
3.について
外周に杭は設置しておりません。なお、グリーンベルトの事業範囲は、神戸市から宝塚市に至る六甲山地の稜線を上端とし、保全の対象となる市街地の外周線を下端としています。
今後について
森林整備事務所の方、六甲砂防事務所の方ともこの忙しい中、Muscleの極めて個人的な質問に対して丁寧に回答していただき恐縮。
とりあえず石柱については1本確実な場所を把握できたので、すぐに探索に行こうと思う。その他、グリーンベルト事業のことや境界杭の分布について調べていこうと思う。
石柱のある場所はここ
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