Tenseien-Path-天清園道
〈ペデスツリヤン 二十五周年記念特輯号P.8※復刻版〉によると神戸徒歩会が敷設した道で「天清園より城ヶ越経由神戸アルプスを県道長坂まで22.97町」のうち天王橋を起点として天清園から城ヶ越山(Turtle Hill)へ至る道(Tensei-en Path)。
〈神戸市背山路圖(KOBE HILL MAP)より〉 Turtle Hill/城ヶ越山の位置に現在の菊水山(山頂の南にNavel Rock/臍岩)があり、Kobe Alps/神戸アルプスの位置に現在の城ヶ越(その北側にGully Chasm/岩窪)がある。この違いが謎だ。ちなみに現在の城ヶ越には三角点405mがある。神戸アルプスの北側にSteam-Cooker Rock/甑岩(こしきいわ)がある。これが城ヶ越岩場と呼ばれる場所。その岩場がある谷筋を河鹿谷というらしく、往時は小屋などもあったとのこと。
大正五年の神戸徒歩会会歌の一節には「甑孫抱の 奇岩を仰ぎつつ 岩窪過ぐれば 神戸のアルプス 前に断崖絶壁 下に千仭の谷 雲踏み登れば 城ヶ越の頂上」とある。
天王花やしき 天清園について
全体像は見えてこず。ネット他でその名称が確認できた地図、記事を以下に上げておきます。
〈時代統合情報システム〉所蔵地図データベースより。「神戸市全圖 : 最近調査実測明細」大正2年のもの。かなり広い敷地のように見える「天清園」。
〈明治43年11月29日「神戸又新日報」第8750号〉
昨今両日相生座に於ける岡山孤児院の事前演奏会に出演する為来神せし柴田環女子は扁桃腺に罹り旅館吉野館にて細見耳鼻咽喉科病院長の手術を受け居れるが、何分発音に故障せる為め長時間の演奏は困難なるべく兎も角強いて出演すべしと、尚女史へ天王花やしき天清園より美麗なる大花籠を贈れり
〈大正4年8月7日に行われた第1回「全国中等学校優勝野球兵庫県大会」の新聞記事
時に五時を過ぐる事十五分、終って遠藤當通信部主任は紫紺絢爛の優勝旗及び銀牌天清園寄贈の花環を滿場の拍手の裡にキャプテン田中に送り盛會のうちに散会せり
とあった。「天王花やしき 天清園」なかなか名の知れた生花販売業者だったに違いない。しかしほとんど情報が拾えないのはなぜだろう…。
Mt.Kikusui-菊水山について
〈角川日本地名大辞典 28 兵庫県〉より
神戸市北区、六甲山地西部にある山。標高458.9m。 花崗岩からなる山で、南側は断層崖の急斜面、北側は緩斜面の傾動地塊をなす。 古くは大角木山(おおつぬぎやま)と呼ばれ、神戸市と山田村の境の目標になっていた(山田村郷土誌)。 昭和10年大楠公六百年祭の時、記念行事の一環として市内の小学校教員・生徒が1人3銭ずつ出し合い、中腹に菊水の型の植樹をしたことから菊水山と呼ばれるようになった。 現在その木は残っていないが、山頂に記念碑がある。
菊水山と名の付く前は、色々な名前があって、大角木山(おおつぬぎやま)、烏山(烏原の由来にちなむと思う)、また一帯を湊山(湊の正面にあったことから)とも読んでいたとのこと。
画像は菊水山登山会 創立30周年記念誌の一部分のコピー。昭和13年の集中豪雨で南面・東面に多数の山崩れが発生し、その後の災害復旧工事後の写真。山頂直下の南面に菊水紋が見られる。40mくらいはありそう。現在の縦走路の山頂下西側にあったようだ。現在はなくなっているとのことだけど、何かしら跡があったりしないのかな。
Steam Cooker Rock-甑岩について
日本の岩場 ゲレンデ編に「城ガ越岩」とある。ルートも様々でかつてはよく登られていたんだと思う。中里町神戸ヒルズができてから捨てられたのかも。
菊水山 山頂から東にあるせり出したピークは地元では「小菊水」と呼ばれている。知らなかったなぁ。
このマップで見ると和名を英訳したものがほとんどなのに、城ヶ越山はTurtle Hillとなっている。おそらく鍋蓋山から見た時に「甑岩のピナクルが亀の頭に、城ヶ越のゴツゴツしたところが亀の甲羅に見える」ことから名付けたんじゃなかろうか。ところで「城」ってどの城のことだろう…湊川の戦いとの関連があるのかも知れない。
菊水山登山会 創立30周年記念誌によれば「山頂から石器・土器が出土したとあり、高地住居遺跡の一つと推測され、砦や山城が築かれたり、修験道の山として修行の場となるなどの変遷があったと思われる」とのこと。
参考サイト
来た道、往く道、どんな道。こちらのブログの記事はとても参考になりました。菊水山から東の眺望には驚いた。せり出したピークは現在の展望ベンチがあるところだ。それが小菊水。笹原だったという山頂の景色が実際に見られて感激した。その頃の六甲山を歩いてみたかった。
・山岳信仰の山 兵庫県の山紀行(2)-1
・神戸市 兵庫区の紹介
・山と遊ぼ!! flowery fields!!菊の御紋と菊水の家紋
その他周辺情報
・天王温泉(2004年8月1日廃業)関西の激渋銭湯 【涙の廃業】兵庫県の激渋銭湯
・湊山温泉
・菊水ゴルフクラブ(オープン日 1968年10月1日)
天清園のことについて、以前知恵袋で調査・回答したことがありましたので、情報提供します。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13214702568
国会図書館のデジタルコレクションで閲覧できる、「神戸及附近の風光」(明41.6出版)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765673
のコマ番号24に説明が出てました。
転記しますと、
「天王橋を渡りて西半丁に天淸園あり。園内廣くして多くの西洋草花を栽培し且大温室を備へたれば四季常に淸艶珍奇なる美花を賞すべく殊に小禽の妙音を奏で山羊小鳩の群れ遊べる等遊覧に適せるを以て兒女を伴ふて茲に散策を試むるも亦一興なるべし。」
ということで、天清園は、温室付の植物園+小動物がいる、今でいうアミューズメントパークのようなところだったようです。
terさん はじめまして。
情報ありがとうございます! 気合を入れて探したところ!
神戸南洋植物パークにちかい感じだったんですかね。すっかり宅地になってしまい残念なことです。
神戸及附近の風光は盆休みにゆっくり見ようと思います。
最近、古地図を手に入れ「天清園」が何か調べて。こちらに漂着しました。
天清園—果樹園?,屋敷?なのか不明です、、範囲も古地図ごとに異なるので年代で広さが違うのか、地図が不正確なのかわかりません。
情報をご存じでしたら教えてください。(湊山町の生まれですから細部まで状況は、わかります)
ちなみに住宅廃墟を昭和42年水害と想定されていた様ですが昭和45年(同級生が1人いました)までは、集落がありました、、、、あの集落は、国定公園内に勝手に住み着いた集合体でしたので立ち退きが原因だと思います。(電気は民間でOK、水は谷川からの引き込み、ガスはプロパン、下水の為小川添いに密集建築)
ohtaniさん こんばんは!
昭和42年の水害で捨てられたという認識は間違っていたようですね。
貴重な情報ありがとうございます。
湊山谷周辺に関しては当時住まわれていた方からもコメントをいただき、
概要がわかってきたように思います。以下の記事のコメントも参考にしていただければと思います。
もしかしてお知り合いなのかもしれませんね。
https://muscleturtle.jp/2018/10/28/hyogo/
https://muscleturtle.jp/2017/01/28/tenseien_path/
https://muscleturtle.jp/2017/01/27/kikusui/
天清園は私が調べた限りでは生花販売を生業にされていたのかなと思います。
現在お住まいの方に尋ねてみたりもしましたが、昔のことは御存知ないようでした。
「勝手に住み着いた」という流れは、理解できます。
https://muscleturtle.jp/2018/11/24/hyogo-3/
にもあるように「あーちゃま」さんの話は参考になりました。
そのほか、isorokuさんや、地元民さんの話も大変参考になりました。
ohtaniさん、逆に質問でもうしわけないですが、
https://muscleturtle.jp/2018/10/28/hyogo/
の記事にある、遺構について何かしら御存知ではないですか?
「城ヶ越」懐かしい響きです。少し昔のことで恐縮ですが、平野まで市電に乗り、有馬街道を40分程度進むと右側に鍋蓋山、左側に入ると城ヶ越の岩場。
山小屋と呼べる立派な?小屋と、バラック建ての小屋がありました。立派な小屋?の所有者は「県立兵庫工業高校山岳部」で、完成は昭和28年頃でしょうか。
バラック建ては「阪神内燃機」の山岳同好会が所有者だったと思います。やはり、昭和30年頃完成、37年頃建て替え・・・
当時、借地権等法的根拠は・・・
shiratoriさん こんばんは!
山小屋と呼べるほどとは…今を知った上で想像してみるものの、
どうしてあんな場所にそうした小屋群が?と疑問です。
岩場が相当賑わっていたのですかね?
こんにちわ。shinji50です。
菊水山について興味ある記事をありがとうございました。
ご存知かもしれませんが、Turtle HillについてはINAKA v.1のGoat’s diaryに1914年02月07日付けの記録があります。当該記録の抜書をお示しします。出典:https://www.yamareco.com/modules/diary/24521-detail-73009
“met at Gordon’s Hut at 2.15 p.m. Up to Futatabi, / Futatabi past Shiogahara pond and via Aden over Cows Back to Arima road. Down road to K.W.S.’s new road to Kobe Alps, up Alps to Turtle Hill. / so went by a new path to Inscription Valley, and round by Karasuwara reservoir to Okuhirano, and home by road.”
神戸市背山路圖の成立(1922年?)よりこの用例が古いので、城ヶ越山をTurtle Hillと訳したとは考えにくと思います。地元で城ヶ越山と呼ばれていた山を、イギリス人達がお書きのような理由等からTurtle Hillと称したと考えられるような気がします。
shinji50さん こんにちは〜
先程戻ってまいりました。
こちらのshinjiさんの日記はことあるごとに見させていただいています。前から「Aden」が気になっていたのですが、改めてみるとこれは現在「学習の森バス停」がある四つ辻のあたりなんですかね。付近にある謎の石も気になっていたところです。何かしら関連があったりするのかも…。
Futatabi past Shiogahara pond and via Aden over Cows Back to Arima road. Down road to K.W.S.’s new road to Kobe Alps, up Alps to Turtle Hill.
この道のりの「K.W.S.’s new road」もどこを指すのやら…興味は尽きません。