ここ最近のことだけど、摩耶_長峰山詳細登路図を作っていることもあり、参考に六甲学院の山岳部誌「たきび」の電子版を見ている。電子版と言ってもpdfデータにしているのみ…。初期の分は劣化しており、かつ手書きなこともあって読むのに苦労する。だってこんな感じだから…
「たきび」の中には部内固有の名称が出てくることが度々ある。その中には現在の地図からはなくなってしまった谷や岩場のことが書かれている。たきびを読み直して、現在のどこにあたるのかを調べてみようというわけ。そして今後実際に行ってみるのが主目的。
六甲学院 山岳部誌「たきび」抜粋
読んだ中で特に気になったものをピックアップ。別途なんとか分かる範囲で文字起こしをしました。
※予測で打っている文字もありますm(_ _)m 判読不能の文字は◯◯◯にしています。意味が通らない部分も少なからずあります。ご了承ください。
たきび 第六号(S22.6.1発行)
P.13「天狗塚を中心とする岩場訪問(2)より六甲小槍に関する頁 ※P14は判読しやすいので省略。
六甲小槍…前号に載せた保塁岩以外に学校附近の岩場としては表六甲の小槍がある。保塁岩の登攀が主としてクラックの技術を必要とされるのに対してこの岩場はなんと云ってもリッヂの登攀技術が絶対に必要である。この岩場の登攀ルートが二つあることは保塁岩と同様であるが先づ岩場の位置をここに記す。
位置―ケーブルに通ずる舗装道路を北に進み更にケーブルからロープウェイに通ずる同様な道を行く。ロープウェイに入る道の別れ目よりロープウェイの方へ行かず他方の道をどんどん行く。これが旧ドライブウェイである。この荒れた道を約一粁ばかり行くと鬼ヶ城に入る谷を横切りさらにぐんぐんとまがった道を三 四百米ばかり行くと道路が谷を横切っている。そこは先のところから四つ目の所である。もうそこから小槍は見えているがこの谷を約五十米程ダムを二つ越えて登ると右上に小槍の壮大な姿が目にうつる。第二のダムの上から岩場を目あてとしてブッシュの中をくぐって行く。上へ歩道がついて居て岩壁の下の少しブッシュを切り開いた所に出る。その真正面のフェイスが南面フェイスで左の立派なリッヂが南リッヂ。右が北リッヂ、その少し左が北リッヂの南面クラックである。
北リッヂ(説明図参照)
「最初は階段状にスタンド・ホールドの連続である。そこを直登し三米程は比較的容易に登れる。しかしそこから上は小さいながらも逆層なのでホールドが全然無い。従って約一米程右にあるリッヂに出なければならない。それには右足を少し悪いがリッヂに突き出た足場へかけ右手を横に走って居る小さな割れ目に入れ左足ではん動をつけてリッヂへ出る。こうなるとあとは上の溜り場迄容易に登れる。この溜り場の岩はぐるぐる動くので確保するときには必ずハーケンを打って自己確保すること。ここから上までの登攀ルートは二つある。一つはリッヂを四 五米程登攀するのである。この時ひざ・腕でそのリッヂを挟み体を岩面に接触させ摩擦を大きくしてずり上る。木登りと同じ要領でやればよいのである。今一つは左の割れ目をトラバースして一米程行った所から直登するのであるが階段状である故甚だ容易である。」
これを読む限りは昭和13年の水害でズタボロになった表六甲ドライブウェイ沿いにずっと歩いていって、都賀谷の上流へ向かっていると思う。多分…というかほぼサウスロード下の岩場のことだろうと思う。付図があるものの位置関係が少々わかりづらい。
S24神戸首部より。別途ラインを引いた。赤線がもとの表六甲ドライブウェイ。赤破線が入った谷だと思う。黄破線はロープウェイ方面。ロープウェイから別れて約1kmとは測ってみると現在の「西谷」あたりかと思う。とすると「鬼ヶ城に入る谷」とは「西谷」のことなんだろうか。西谷出合いから350m程で都賀谷が西に曲がる地点=赤破線に至る。「この谷を約五十米程ダムを二つ越えて」の部分は少々謎。50mとは随分と短いような…。となると思っている岩場は、想定の尾根上ではなく、一つ東の尾根になってしまうが…。
たきび 第十号(S24.7.1発行)
P.8「天狗塚を中心とする澤」より三又谷に関する頁
誰も気にしない様な沢である。名にもある如く三又になつてゐるが、その内の主な谷を見ることにする。西の谷は水がなく五十米程で行詰まりになつて長峰に続いてゐる。東の方は笹薮で水は地中を通ってゐる。二 三十米程分け入ると水が流れていて急に広くなる。笹薮の中をどんどん昇って行くと、滝といふ程でもないが滝が三段になつてゐる。三段合すと五 六米あろう。其処は可成り登り難い。少し行くと又五米位の滝がある。その左手にガリーがあり僕等はそれを登つた時僕等は『おや!』と思った。それは僕等が常にみなれてゐる四階建が眼前にあるから―暑かつたので少し休憩して、いつもキャンプする時台所として用ゐる滝を登り広々とした所に出ると右手に苔の生えた大きな黒岩がある。其処で沢が別れ、東をどんどん登ると又水がなくなり道の様になり、再び二つに分れ西へ大きな笹薮をくぐって行くと山の中腹で急斜になつて来る。少し行くとなだらかな岩の上に出る。そこで僕達は休息しそこから沢は四 五に分かれて僕達はどの沢が本流かわからなくなつた。そこで一番東の沢に登ることにした。五米程登るとそこで行詰まりになったので、笹薮の中を左へまがり西の沢へ出た。そこから百米程よじのぼるとガレーがあつた。そこを登るとそこは天狗塚に通ずる長峯の第三鞍部であつた。そこは見晴しが良くちぬの海が良く見おろせる。
これにも付図があって、現在の地図に合わせてみると日柳川の支流の涸谷とわかる。しかしこれを読む限りどうも支谷を詰めたあとなぜか日柳川本流へ行っているように思う。適当な地点から尾根を越えないと本流には行けない。同じ道を歩いてみたいもんだけど、少し難しいかな。日柳川の右岸はそこまで険しくなかった気がするので下れそうではあるけれど。
たきび 第四号(S22発行)
P.5「天狗塚廻行記(二月三日)」より
スカンク盆地は相変わらず熱い。汗が出る。長峰を越して蜂巣谷には入る時水を見る。カナダ・スクールの水道が寒さの為にはねて笹や灌木のブッシュを氷の世界に換えて了った。杣谷に降りて北へ沢を遡行し始める。深くに入れば入る程沢の水が多くなり一昨日の積雪も深くなる。寒滝は氷の衣を纏ってぐーぐーと睡って居る。挨拶代わりにアイスハーケンを一本打ち込んで又北へ進む。木袋谷は深くて暗い。僕等は杣谷峠へ走る。七年前の同じ真冬の晩の苦辛を積る遭難沢の入口で久らく昔の夢に浸る。 峠に出た。ああ寒い!北風がピューと吹く。其の為か先頭の猫と熊とは天狗塚への尾根道を間違って徳川道の方へ走り出す。寒さに震へながらブッシュに隠れて彼等の戻るのを待つ。雪は二十糎は積って居るだらう。運動靴を穿いて居る照チャンは足が冷いだらうな…早く氷谷へ行って焚火をしやうと思ってゐるところへ猫と熊とが歸って来た。「アイゴー」と泣面をしてゐる。「今度こそ間違はないぞ」と云はんばかりのスピードを出して雪の中へ足を運んだ。途中動物の足跡はよく見あたるけれども人の通った跡がないので何だか嬉しい。
間もなく氷谷の入口である。土崩れのあとが見える。実に急だ。ピッケルを持って来ず困った。雪は相当に積ってゐる。深く下り岩壁の上で止まり得るだらうか。今こそ神通力の利く時だ。勇ましく雪渓の上に飛ぶ。手でブッシュを掴んでやっと止る。皆◯◯よく軽快に滑る。少し下へ下りてから焚火をする。岩◯よりも固いやうな餅を焼いてはお砂糖を嘗めながら餅をかじる。ピーナッツ、味甘、ほし柿◯◯武庫川附近で取ったもの)等のエネが表に出る。エネ小会だ。雪の中で火は温いしエネは美味い。◯◯◯◯◯◯◯である。間もなく再び谷を下り始めた。氷谷の名に恥ぢない雪と氷の世界である。滑ったり轉んだり月の光りの下で雪を踏む。滝の光◯には◯◯した。足と手とは殆んど感覚を失はんばかりに、やっと表旧ドライブウェイに出る。アキチャンの手先は哀れな紫色をしてゐる。下りは二回も氷をふみ破った◯◯は足はヒザまでぬれてゐる。時間は六時五分だ。「エヘーン」!最上のスピードで走りロープウェイの道に出る。「ヨイヤサ」「キタサ!」の掛声が山の沈黙を破る。いつもの通り変電所で皆と別れて河童池を通って天狗荘へ歸る。
2月の午後6時で雪が積もる谷を下る…なかなか無茶をしている気がする。
P.10「天狗國語」より ※44号で追加があるけど、それは省略。
(1)語意 (2)語史
- アイゴー(1)痛い、悲しい時の悲鳴 (2)昭和廿二年一月に雪彦キャンプで生れた新語也
- 岩に挨拶する(1)岩に頭をぶつける (2)昭和二1年前穂高北尾根縦走の際リュックに入れたピッケルが岩にぶつかって困った事に始る。
- ウウン(又はエヘン)(1)小天狗専用の出発合図 (2)原因不明の古代の唸り声
- エネ(1)菓子類 (2)一期生の“おっさん”(阪上秀太郎)雨中の沢登りの後六甲山上の茶屋の菓子を見て「ア、エネルギー」と溜息をついた事に始る。
- エネ大会(1)營火の名事山岳班独得の行で持って来たエネを供出して皆と共に大いに食ひながら愉快に笑ふ会を云ふ (2)エネと共に生れた。
- オーイニ(1)大いに罰せられるべしであってイタヅラ坊主に對する天狗の専用の序声 (2)昭和二二年一月の雪彦山キャンプの「二双論争」で始った。
- 雷春雨(1)人に頼む事の出来ない私用
- ガス 國際語
- カスミ(1)頭がボーッとしてゐる又は天狗の食物 (2)昭和二二年アルプスの「涸沢ボケ」の代用として生れたもの。
- 天狗踊(1)アプザイレンの途中飛んだりはねたりする事。 (2)昭和十五年蜂巣の一枚岩の初アプザイレンの時に発演された。
- 天狗菓子(1)天狗自慢のすごく美味しいホットケーキ (2)昭和十八年天狗八ヶ岳の上智大学の小屋に於てゴミ箱探索の結果見つけた人造バターと粉乳とをいって菓子を造る。
- ルツアレン◯ツクアレン (1)がたがたの道または人 (2)昭和廿一年第◯期の◯◯の時間に皆を感◯させたドイツの言葉である。
- ポンチ汁 (1)カレサッソ一印度人も恐れるからい汁 (2)昭和二一年四月雪彦山に於て十二期生植木三郎(ポンチ)がカレー粉一びんを使ってものすごいカレー汁を作った。
- 水呑み (1)滑落する事 (2)一期生オッサン(阪上)が昭和十八年に徳沢小屋と黒沢との間違から梓川の川へ落ちて上がって来た時彼曰く「水呑みに行って来た」
- マツ茶 (1)紅茶 (2)六甲山の男の歌より…。
- 日本のチューインガム (1)餅 (2)昭和二二年一月四日雪彦山で相尾さんから戴いたゾウニを食べた天狗曰く「日本のチューインガムは非常に美味い」と…。
その他
氷谷、鬼の手洗い谷、坊主岩(蜂巣滝手前の右岸支流の奥)、坊主谷、天狗原(学校そば)、鬼ヶ城、もぐら越、スカンク盆地、地蔵岩、おじんの迷い谷(木袋谷)、日没岩、日没岩東谷、カッパ岩、カッパ池、伯母野山の地蔵岩…などなど ※()内はたきび内で言及されている、確認できる場所。
メインのゲレンデ坊主岩や一枚岩は18号の図が鮮明なので良く分かる。また先の第十号P.8より学院周辺の名称は確認できる。しかし他は「たきび」に断りとしてあるように「天狗沢」をはじめ学院オリジナルの呼称というもあって、それぞれ現在のどこに該当するかの判断が難しい。昔の地図=六甲_摩耶_再度山路圖ではすでに「岩ヶ谷」や「西谷」、「八疊岩」などが出てくるけど、たきびではわずかに後半で「西谷」が出てくるのみ。そのあたりの照合のややこしさはINAKAに通じるものがある。
最終となる45号の1つ前の号、昭和51年7月20日発行の特別号P.85に「長峰山の尾根と谷」には次のようにある。
〜それでもなおかつ、六甲小槍や日没岩などは場所もよくわからず、時間的制約もありついに調べる事はできなかった。
Muscleが生まれた頃にはこうして過去の岩場が忘れ去られていったんだと思うとなんだか切ない。
これは43号のいわゆる表1と表4。これがもっと詳細だったらなんてことはないんだけど(歩荷訓練でヒーヒー言ったとされる東尾根さえもここでは省略されているし、都賀谷などもない。)。おそらく部内では地名を記した詳細なものがあったとは思う。
練習報告から固有名称の場所を探す
「たきび」の中には「訓練報告」、「練習報告」、「登山報告」などの形で記録が残されている。まずは過去の報告で現在の通例と違う名称が出てくる部分を一通り書き出してみた。(※文→学校で統一、アプザイレンで統一、シェル道・シェール道などは原文ママ、日付が明らかに間違っていると思われるものは別途修正した。)
たきび2号
4.17
滝登り 三ツ又谷
5.1
沢登降訓練 天狗沢~氷谷
登攀及び同先頭懸垂下降 坊主岩
5.8
登攀基礎 蜂ノ巣一枚岩及び坊主
登攀及び先頭懸垂下降 坊主岩
たきび7号
天狗塚を中心とする岩場訪問 坊主岩 ここは我々の最も親しみ深い最もよい訓練場なのである。
3.7
地蔵岩~伯母野山~天狗塚~学校
3.20-21
泥棒滝キャンプ
5.1坊主岩登攀
寒滝登攀
5.15
六甲小槍登攀
たきび8号
6.4
一枚岩アプザイレン
坊主岩登攀
6.12
寒滝登攀
6.19
一枚岩 アプザイレン
9.18
天狗塚~氷谷
9.15
四階建キャンプ
たきび9号
10.2
日没岩 アプザイレン
10.23
坊主岩登攀
学校~杣谷~ドライブウェイ~鬼の手洗谷~旧ドライブウェイ
天狗沢~天狗塚~鬼ヶ城~旧ドライブウェイ
12.18
日没岩 アプザイレン
寒滝登攀
1.29
天狗原~蜂巣谷~~泥棒滝
たきび10号
4.24
六甲小槍
5.3
坊主岩登攀
5.28
鬼ヶ城登山
泥棒滝 アプザイレン
たきび12号
9.23
蜂巣滝トラバース 坊主岩登攀
10.1
天狗沢~天狗塚~氷谷
11.5
天狗塚~鬼ヶ城
坊主岩
11.19
天狗塚~鬼ヶ城~旧ドライブウェイ
坊主岩登攀
たきび13号
2.11
天狗原~杣谷~杣谷峠~氷谷~旧ドライブウェイ~変電所
摩耶山~アゴニー坂~杣谷峠への近道調べ
学校~カッパ池~変電所~旧ドライブウェイ~鬼ヶ城~氷谷入口~天狗塚~長峰~天狗原
4.22
天狗原~杣谷~寒滝~寒谷~摩耶山~ケーブル道~青谷
5.6
天狗原~モグラ越~四階建~杣谷~長峰~学校
天狗原~土橋~藪くぐり~天狗塚山九合目附近~東尾根~学校
天狗原~変電所~旧ドライブウェイ~日没岩~一枚岩~旧ドライブウェイ~変電所~学校
5.13
天狗原~モグラ越~スカンク盆地~蜂巣谷~蜂巣滝
天狗原~蜂巣谷~杣谷~チムニー滝~天狗塚~天狗沢~天狗原
天狗原~蜂巣谷~杣谷(谷伝い)~杣谷峠~鬼の手洗谷~旧ドライブウェイ~土橋~変電所
日没岩登攀
6.10
寒滝登攀
たきび14号
6.10
天狗原~変電所~都賀川遡行~旧ドライブウェイ~日没岩~一枚岩~天狗塚~東尾根~学校
たきび14追加号
9.9
天狗原~旧ドライブウェイ~氷谷~天狗塚~帰路
7.16
天狗原~蜂巣谷~泥棒滝~蜂巣谷~天狗原
天狗原~蜂巣谷~泥棒滝~尾根~蜂巣谷~天狗原
たきび15号
9.9
天狗原~変電所~旧ドライブウェイ~氷谷~天狗塚~長峰~天狗原
10.29
坊主岩 岩登り
11.4
天狗原~天狗沢~天狗塚~チムニー谷~チムニー滝~杣谷~蜂巣谷~長峰~天狗原
一枚岩 アプザイレン
坊主岩登攀
学校~変電所~ドライブウェイ~日没岩東谷(沢登り)~杣谷~天狗塚~天狗沢~学校
11.23
泥棒滝の上川 キャンプ
11.25
学校~変電所~旧ドライブウェイ~日没岩東谷~天狗塚~天狗沢
坊主岩 岩登り
12.2
天狗原~東尾根~天狗塚~氷谷~旧ドライブウェイ~変電所~学校
天狗原~杣谷~寒谷~摩耶山~摩耶谷~天狗原
12.28
天狗原~旧ドライブウェイ~鬼の手洗谷~ドライブウェイ~シェール道~杣谷峠~天狗塚~東尾根~学校
1.27
四階建 追払式
天狗原~東尾根~天狗塚北側道~杣谷へ至る新道~氷谷北側の沢~杣谷~天狗原
寒滝登攀
2.10
天狗原~三又谷~四階建~天狗原
坊主岩登攀
一枚岩 トラバース
たきび17号
2.17
天狗原~杣谷~杣谷峠~徳川道~日没東谷~鬼の手洗谷~旧ドライブウェイ~学校
5.12
日没岩 アプザイレン
六甲小槍登攀
6.9
坊主岩 アプザイレン
6.25
学校~蜂巣谷~泥棒滝~天狗塚~東尾根~学校
坊主岩登攀
9.15
坊主岩 アプザイレン
学校~都賀川遡行~弁天滝
9.23
坊主岩 寒滝初登攀
9.19
学校~寒谷~寒谷の前の谷を上る~天狗塚~東尾根~学校
日没岩 アプザイレン
10.6
日没岩 アプザイレン
坊主岩北 岩場登攀
たきび18号
10.12
都賀川遡行~弁天滝~氷谷~天狗塚~天狗沢
天狗梁登攀
10.27
坊主岩 登攀
旧ドライブウェイ~鬼の手洗~日没東谷~徳川道~杣谷
天狗梁登攀
11.10
旧ドライブウェイ~氷谷~天狗塚~長峰
日没東谷~徳川道~天狗塚~東尾根
坊主岩登攀
天狗梁登攀
11.17
前ヶ辻~徳川道~日没東谷~学校
天狗梁登攀
12.15寒谷~シェール道~天狗塚~天狗沢
天狗沢~天狗塚~山羊戸渡~旧ドライブウェイ
昭和27年1.12
天狗沢~天狗塚~山羊戸渡~旧ドライブウェイ~学校
泥棒滝 アプザイレン
坊主岩登攀
1.26
坊主岩登攀 泥棒滝トラバース
2.2
蜂巣谷~泥棒滝~天狗塚
たきび19号
2.23
杣谷~無名谷~天狗塚~天狗塚~徳川道~前ヶ辻~学校
3.13-16
4日目 日没岩 岩登り アプザイレン
4.19
スカンク盆地~四階建~学校
変電所~旧ドライブウェイ~鬼の手洗~都賀谷~ドライブウェイ~摩耶山~摩耶谷~学校
小槍登攀
4.26
坊主谷 岩登り
小槍登攀
5.3
土橋~鬼の手洗~日没東谷~ダイヤモンドポイント~前ヶ辻~六甲教会
5.17
坊主岩登攀
6.7
一枚岩 アプザイレン
たきび20号
6.11
天狗原~ケーブル~鬼の手洗~日没東谷~杣谷峠~杣谷~天狗原
天狗原~蜂巣谷~坊主岩
6.28
小槍登攀
10.24
天狗梁登攀
たきび21号
11.8
天狗原~摩耶東谷~山頂~杣谷峠~徳川道~日没東谷~土橋~天狗原
天狗原~日没岩~土橋~天狗原 岩登りアプザイレン
天狗梁 岩登り
四階段(四階建)土地整理
11.22
天狗原~中道~長峰~天狗塚~鬼の手洗~土橋~天狗原
天狗原~~マヤ谷~ガラガラ谷~摩耶山~アゴニー坂~杣谷峠~杣谷~天狗原
日没岩 岩登り
天狗梁 岩登り
11.29
日没岩 岩登り
辨天岩附近探査 地蔵岩登攀
1.10
天狗原~杣谷~第一支流~天狗塚~氷谷~旧ドライブウェイ~変電所~天狗原
天狗原~杣谷~寒滝~寒谷~摩耶山~摩耶東谷~天狗原
木袋谷左側の尾根岩場探査
1.17
坊主岩
天狗原~杣谷~無名谷~天狗塚~山羊戸渡~土橋駅~天狗原
木袋岩の探査
1.31
天狗原~長峰~天狗塚~東支脈~弁天滝~土橋~天狗原
2.7
天狗原~鬼手洗~日没東谷~徳川道~ケーブル山上駅~寒天山~御影
2.15天狗原~杣谷~木袋谷~アゴニー谷~摩耶山頂~寒谷~本校
杣谷第一支流合流点附近 新岩場探索及び研究
2.28
天狗原~杣谷第二支流~天狗塚~杣谷峠~DW~摩耶山頂~新山寺尾根~天狗原
旧穂高 岩場研究
新穂高岳偵察
3.7
天狗原~蜂巣谷~泥棒滝上キャンプ地~天狗原
天狗原~東尾根~天狗塚~鬼の手洗谷~日没岩~旧ドライブウェイ~天狗原
3.25-27 シェル道キャンプ
新穂高 岩登り初歩アプザイレン
鬼の手洗~日没岩アプザイレン~旧ドライブウェイ~天狗原
4.11
天狗原~鬼の手洗~日没東谷~徳川道~杣谷~学校
坊主岩 岩登り
4.18
坊主岩 岩登り
4.25
坊主岩 岩登り
5.2
小槍 岩登り
5.3
小槍 岩登り
坊主岩 アプザイレン
5.9
天狗原~土橋~寒天山道~ドライブウェイ~徳川道~日没東谷~鬼手洗谷~ドライブウェイ~杣谷峠~天狗塚~東尾根~天狗塚
天狗梁 岩登り
5.16
坊主岩 岩登り
6.6
一枚岩 アプザイレン 天狗原~一枚岩~天狗原
6.13 四階建キャンプ
坊主岩 アプザイレン
たきび23号
4.24
学校~DW~日没東谷~DW~杣谷峠~アゴニー坂~摩耶山~山寺尾根~学校
5.2
小槍 岩登り
5.8
一枚岩アプザイレン
5.15
学校~旧DW~氷谷~天狗塚~杣谷峠~杣谷~学校
小槍 岩登り
天狗岩 岩登り
たきび24号
10.30
四階建 追払式
11.6
学校~杣谷~第二支流~天狗塚~学校
坊主岩 岩登り
11.13
一枚岩 アプザイレン
学校~弁天滝~弁天尾根~天狗塚~杣谷峠~シェル道~摩耶山~山寺尾根の西の尾根~学校
学校~杣谷~杣谷第一支流~天狗塚~学校
坊主岩 岩登り
たきび25号
5.7
学校~真水谷~保塁岩~徳川道~日没東谷~杣谷峠~杣谷~学校
寒滝戦後初めての岩登り
重量運搬 弁天滝~弁天尾根~天狗塚~東尾根~学校
5.14
重量運搬 弁天尾根~天狗塚~東尾根~学校
小槍 岩登り
寒滝 岩登り~寒谷~摩耶山頂~杣谷~学校
6.4
学校~天狗沢~天狗塚~山羊戸渡~氷谷~土橋~学校
小槍 岩登り
たきび26号
6.25
寒滝 岩登り
天狗梁 岩登り
7.2
小槍 岩登り
寒滝 岩登り
9.10-11
モグラ越下 創立記念キャンプ
10.1
学校~長峰~天狗塚~弁天尾根~学校
坊主岩 アプザイレン
10.8
学校~氷谷~杣谷~学校
10.22
重量運搬 新ドライブウェイ往復
10.29
学校~地獄谷~天狗塚~第二支流~学校
重量運搬 新ドライブウェイ往復
第一支流岩場初登攀
11.12
学校~杣谷~第二支流~天狗塚~山羊戸渡~氷谷~学校
坊主岩 岩登り 及び 一枚岩 アプザイレン
重量運搬 新ドライブウェイ往復
杣谷第一支流 阪田岩
11.19
学校~杣谷~日没東谷~新DW~学校
学校~氷谷~天狗塚~第二支流~杣谷~学校
坊主岩 岩登り
重量運搬 新ドライブウェイ往復
阪田岩 岩登り
たきび27号
9.10-11
モグラ越下スカンク盆地 創立記念キャンプ
10.1
学校~長峰~天狗塚~弁天尾根~学校
坊主岩 アプザイレン
10.8
学校~小売谷~杣谷~学校
10.22
重量運搬 新ドライブウェイ往復
10.28
学校~地獄谷~天狗塚~第二支流~学校
重量運搬 新ドライブウェイ往復
杣谷第一支流北 阪田岩新ルート開拓
11.12
学校~杣谷~第二支流~天狗塚~山羊戸渡~学校
阪田岩 岩登り
11.19
学校~杣谷~日没東谷~表六甲DW~学校
学校~氷谷~天狗塚~第二支流~杣谷~学校
坊主岩 岩登り
阪田岩 岩登り
1.14
学校~日没東谷~杣谷~学校
たきび28号
4.21
四階建~天狗塚~長峰
4.28
学校~弁天滝~天狗塚~学校
5.12
土橋~日没東谷~徳川道~DW~摩耶山~山寺尾根~学校
学校~土橋~前ヶ辻~六甲ホテル~シュラインロード~DW~一の谷~天望山~学校
寒滝 岩登り
6.9
小槍 岩登り
6.16
天狗岩~天狗塚~杣谷~学校
天狗梁 岩登り
9.29
スカンク盆地テント タキ火の練習
坊主岩 岩登り
天狗梁岩登り
10.6
学校~杣谷第二支流~天狗塚~山羊戸渡~DW
坊主岩 岩登り
小槍 岩登り
11.4坊主岩 岩登り
たきび29号
2.2
杣谷~徳川道~日没東谷~ドライブウェイ~学校
2.27
六甲教会~杣谷~シェル道~徳川道~西谷~六甲教会
5.4
坊主岩
6.29
六甲小槍
9.31
有馬鬼ヶ城
10.5
坊主岩 クライミング
11.9
小槍 クライミング
坊主岩 クライミング
11.30
一枚岩 アプザイレン
たきび30号
5.10
学校~弁天尾根~天狗塚~杣谷峠~杣谷~学校
5.17
学校~弁天尾根~天狗塚~杣谷~学校
6.7
山寺尾根~桜谷~徳川道~日没東谷~DW~学校
摩耶東谷~摩耶山~杣谷峠~西谷~学校
天狗梁 小槍 岩登り
6.28
学校~第一支流~天狗塚~弁天尾根~真水谷~寒天山~学校
10.5
教会~DW~日没東谷~DW~獺池~トウェンティクロス~布引
11.8
学校~第一支流~天狗塚~弁天尾根~学校
坊主岩 アプザイレン
学校~摩耶東谷~摩耶山~DW~一谷道~学校
11.16
布引~天狗道~摩耶山~山寺尾根~第一支流尾根~天狗塚~弁天尾根~寒天山~前ヶ辻~六甲境界
六甲教会~DW~西谷~DW~地獄谷~大池
11.22
学校~天望山~DW~真水谷~弁天尾根~防火帯~学校
11.29
学校~DW~弁天尾根~天狗塚~杣谷峠~杣谷~学校
坊主岩 アプザイレン
学校~蜂巣谷~第三支流尾根~学校
たきび31号
4.18
学校~土橋駅~日没東谷~天狗塚~弁天尾根
4.25
学校~弁天尾根~天狗塚~杣谷~学校
坊主岩 岩登り
寒滝 岩登り
5.2学校~杣谷~天狗塚~弁天尾根~学校
坊主岩 岩登り
寒滝 岩登り
5.9
学校~日没東谷~DW~摩耶山~寒滝~学校
9.9
学校~弁天尾根~杣谷~学校
9.19
一枚岩 アプザイレン
9.23-24
学校~弁天尾根~杣谷~学校
一枚岩 アプザイレン
10.3
学校~DW~弁天尾根~天狗塚~東尾根~学校
10.3
学校~東尾根~天狗塚~防火帯~学校
10.24
学校~土橋~日没東谷~シェル道~新穂高~DW~寒天山~学校
学校~前ヶ辻~真水谷~DW~日没東谷~学校
11.7
学校~DW~弁天尾根~天狗塚~東尾根~学校
学校~寒天山~DW~ダイヤモンドポイント~三国池~日没東谷~DW~学校
11.28
学校~弁天尾根~天狗塚~杣谷~学校
学校~弁天尾根~天狗塚~杣谷~学校
学校~弁天尾根~天狗塚~シェル道~旧六甲山道~DW~保塁岩~真水谷~学校
12.19
学校~杣谷~第一支流~東尾根~学校
たきび32号
11.12
学校~弁天尾根~天狗塚~杣谷~学校
12.3
杣谷出合~東尾根~摩耶山~DW~天狗塚~弁天尾根~学校
1.14
学校~日没東谷~DW~天狗塚~防火帯~学校
たきび35号
4.18
学校~蜂巣谷~坊主谷~学校
4.25
学校~蜂ノ巣谷~坊主岩~学校
学校~木袋谷~DW~西谷
5.9
学校~DW~六甲小槍~学校
学校~坊主谷~学校
5.15-6
学校~DW~六甲小槍~DW
9.12
学校~杣谷第三支流~山羊戸渡~阪急六甲
9.19
学校~蜂ノ巣谷~天狗塚~ユースホステル~日没東谷~DW~学校
氷谷と鬼の手洗い谷
登山報告とは別に9号の「天狗塚を中心とする澤」には以下のようにある。
・・・・六甲には沢が多い。天狗塚を中心に見てみても天狗沢、蜂巣谷、摩耶谷、杣谷、裏へ廻って氷谷、鬼の手洗い谷等一つ一つ数え上げればきりがない。・・・・・
これでいくと天狗塚=長峰山頂の北に顕著な谷が2本あるということになり、それはどう見積もっても現在で言う西谷と都賀谷になると思われる。決め手にするには少々心許ないけど、「学校~天狗沢~天狗塚~山羊戸渡~氷谷~土橋~学校」のルートから「氷谷」は“山羊戸渡と一部繋がる谷”ということになる。その他前後の接続から氷谷=西谷とする。となれば消去法で鬼の手洗い谷=都賀谷ということになるわけだけど、「変電所~旧ドライブウェイ~鬼の手洗~都賀谷~ドライブウェイ~摩耶山~摩耶谷~学校」のルートがあり、そうすると都賀谷が2本あることになってしまう。ここはご都合主義的に解釈して…おそらく「鬼の手洗い谷」はユースセンターに突き上げる谷で、「たきび」でいう「都賀谷」は源頭部手前で北に曲がる「都賀滝」がある谷ではないかと思う。
日没岩と日没東谷
その他、報告にあるルートの位置関係を整理して六甲_摩耶_再度山路圖に名称を重ねてみた。良く通られているものの場所に関する記載が特になく、どれがどれなのか迷ったのが日没岩と日没東谷。
日没東谷の前後には「徳川道」と「杣谷峠(杣谷)」が頻出する。その周辺の岩場とその東にある谷ということで、日没東谷の候補は2本。決め手は「学校~寒天山~DW~ダイヤモンドポイント~三国池~日没東谷~DW~学校」のルートから“三国池から入る谷”ということ。第二候補の「命迷谷」は、六甲山牧場の建設は昭和25年に始まったのでまさに廃道というか、その時点で牧場内の道になってしまったと思うのでここで消し。また「学校~土橋~日没東谷~シェル道~新穂高~DW~寒天山~学校」のルートから、新穂高北東面は消し。残ったのが現在の穂高湖から北東へ伸びる谷=それが日没東谷。そしてその西にある顕著な岩場はシェール槍しかない。シェール槍を日没岩と命名したのは、現在の西方の抜け具合からも納得できる。
ちなみにこれは明治の地図。この段階ではむしろこちらの道(命迷谷)がメインだったようす。北東に伸びる谷には道筋はない。ちょっと気になるのは「学校~変電所~ドライブウェイ~日没岩東谷(沢登り)~杣谷~天狗塚~天狗沢~学校」というルート。山岳部が「沢登り」と言えるほどの谷だったんだろうか…。2年ほど前に歩いた印象ではそんな感じはなかった。
その他の名称
弁天滝から天狗塚への尾根は「弁天尾根」。木ノ袋の岩塔は「木袋岩」。杣谷の第一支流が岩ヶ谷だとすると「阪田岩」は第五堰堤工事で消えた岩場かも(杣谷第一支流北 阪田岩新ルート開拓などと報告に出てくる)。第二支流がナバ谷、第三が勧進滝の谷なのかどうか。さすがに情報がなくわからなかった。それにしても勧進滝について触れられていない不思議…。その他、伯母野山の地蔵岩やカッパ岩、カッパ池などは調べてみたものの詳細不明。周辺の名のある小さな山も削られて無くなったし、特定は難しいかも。また「旧穂高 岩場研究」なるものが出てくるものの、それもどこかはわからなかった(新穂高西峰西側の三枚岩も含めた岩場かな?と予想)。
それぞれの名称由来については想像できるものは別として、「鬼の手洗い谷」などはやはりわからない。これら未解決の内容については今後の課題に取っておこうと思う。
まとめ
別途1975年の空中写真に分かる範囲の名称を一通り重ねてみた。1975年は部が解散する前年ということもあるし、穂高湖の水の様子を見られるので敢えてこの年のものを使用してみました。
こうしてみると北東の谷から穂高湖へは結構な水量が流れ込んでいて、滝でもあるような感じはする。
ちなみに以前、穂高湖ができた経緯を六甲砂防事務所に確認したことがあった。そのときの回答は以下。
「穂高湖」については、六甲山系で起きた昭和13年の阪神大水害を契機に土砂災害を防止するために作られた砂防堰堤の一つである穂高堰堤(昭和41年1月に完成)の上流にあります。なぜ湖が出来たかの経緯について、色々な過去の文献を調べましたが探ることが出
来ませんでした。湖の場所を管理している神戸市立自然の家に問い合わせた所、自然の家が出来た昭和48年には、すでに湖があったとのことです。
堰堤ができる前=穂高湖ができる前は周囲の様子はどうだったのかもまた気になるところではある。おそらくシェール槍と言う名称が付けられたのはこの頃ではないだろうか。
今回の記事ではMuscle個人の憶測が多分に含まれているので、間違いや勘違いなどあればご指摘いただけると幸いです。
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