
神戸徒歩会のメンバーが創立したロッククライミング倶楽部は、大正3年に本格的な岩壁登攀(とうはん)を開始した。昭和初期、ロックガーデンで。
これはどの辺りだろうか。行ってみたい。

植林前の六甲山(明治36年)
よく見る写真なんだけど、これもどこか良くわからない。(高雄山だろうか。高雄山には水平道がいくつかあるし) にしても、整然としているもののひどい風景。

かごで六甲山に向かうグルーム一行。神戸から五毛天神前まで人力車で、そこから杣(そま)谷道をかごで登ることが多かった。明治後期。
これ、駕籠かきさん大変だったろうなぁ。

大正初期の岡本付近。梅林がすばらしく、盛りのころには阪神電車が臨時の停留所を設けて、観光客を誘致した。
八幡谷の辺りかな。

第1回六甲全山縦走市民大会。●女性187人を含む1,560人が参加して昭和50年11月に開催。完走率は83%という高さだった。

大正14年、開業当時の摩耶ケーブル摩耶駅。日本の登山鉄道としては4番目だった。

摩耶山天上寺。明治中期。
これが今でも残っていたらどんなだっただろう。派手な服装のハイカーが境内を抜けたりしたのかな。

六甲凌雲荘付近から望む。昭和10年。
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登攀写真は「万物相」ですね。セコンドは「藤木九三さん」と、伝え聞いております。
ロックガーデンの道程で思い出すのは、小島鳥水の実弟小島栄さんが芦屋の伊勢町にお住まいで、ご近所の関係からぼくが未だ子供の頃、高座の滝までつれて頂いた事を、懐かしく思い浮かべました。
栄さんは当時住友銀行にお勤めだったか?「住友には登山史上の人々、何人も勤めておられたそうですね」
なんと!あの藤木九三さんでしたか。
まったくshiratoriさんのコメントには驚きの連続です。
小島烏水さんのお名前まで出てくるとは…。
shiratoriさんは相当六甲を歩かれているのですね。
まだまだ浅い私からは想像の外。
私がこうして見ているモノクロ写真をshiratoriさんは記憶もあってカラー写真として見ているのかも知れませんね。
もしかつての美しいお写真などあればぜひ拝見してみたいと思っています。
六甲ロープウェー 鉄筋コンクリー造の頑丈な台座、真水谷辺り、未だ、残骸を目にすることが出来るのでは?
仰るように真水谷出合いから前ヶ辻谷対岸から斜面を登ると2号石柱の土台が残っておりました。
3〜4も当然あると思うのですが、斜面がしんどそうなのでやめている次第です。