ナレッジ

(更新日: 2017.12.3) 4

【神戸100年 写真集】明治以降の山本通周辺の風景。

2016年6月28日火曜日。神戸市文書館に行く機会があり、神戸100年 写真集を見ることができた。文書館では写真撮影が申請により許可されている。これらの写真の説明は写真集各写真に添えられていたものから文字起こししたものです。

明治中期の山本通付近。

明治中期の山本通付近。

明治後期の諏訪山公園稲荷付近。左側の建物は白い異人館と呼ばれた昭和30年ごろ建築のドイツ人の住宅。

明治後期の諏訪山公園稲荷付近。左側の建物は白い異人館と呼ばれた昭和30年ごろ建築のドイツ人の住宅。

う〜ん…手前の池は「新池」かな。

昭和10年の諏訪山公遊園地付近。

昭和10年の諏訪山公遊園地付近。

この頃には既に山の上へ上へと住宅が広がってしまっている。

昭和10年のトアロード。外国人が経営する商店が多く、ハイカラ神戸を代表するふんい気がみちていた。

昭和10年のトアロード。外国人が経営する商店が多く、ハイカラ神戸を代表するふんい気がみちていた。

位置的に山手幹線を越えた先かな。

明治中期、北野付近から南を望む。中央が滝道、左側遠くにみえる森が内外人公園。

明治中期、北野付近から南を望む。中央が滝道、左側遠くにみえる森が内外人公園。

内外人公園は現在の東遊園地。

昭和10年の滝道交差点付近(現・国際会館付近)。上野写真と両方に写っている右側の建物を見ると、街の移り変わりがよくわかる。

昭和10年の滝道交差点付近(現・国際会館付近)。上野写真と両方に写っている右側の建物を見ると、街の移り変わりがよくわかる。

右奥に見えるのは555Pだろうか。南の斜面は崩れているのかどうか。

昭和8年の阪神電車神戸(滝道)終点。建築中の建物はそごう百貨店。地下では阪神の地下乗り入れ工事が完成まじか。手前の市電は開通間もない税関線。

昭和8年の阪神電車神戸(滝道)終点。建築中の建物はそごう百貨店。地下では阪神の地下乗り入れ工事が完成まじか。手前の市電は開通間もない税関線。

【神戸100年 写真集】明治以降の六甲山周辺の風景。前のページ

西国往還付替道 杣谷道から名場谷、森林植物園を抜け小部峠へ至る。次のページ

コメント

    • shiratori
    • 2017年 7月 31日

     W・ウェストン師は明治22年から6年間、中山手通3丁目14番地にお住まいだったそうです。(中山手通3丁目交差点から、山本道3丁目交差点、南北中間地点西側あたり)

     お住まいから創造しますと、山本通りから、諏訪山や大師道から再度山へは度々歩いているはずですか、日本で翻訳された著書にはなぜか「六甲山」に関する記述か見当たりません。僅かに「兵庫」「神戸」「三宮」の地名表現は現れ、兵庫大仏や、山麓から撮影された神戸市内の風景写真(絵葉書)此の二枚の写真は著書に挿入されております。

     W・ウェストンの著書「The Playground of the Far Fast」「1918年刊」の文中、気になる一文が(故タケット氏と私は神戸の西にある丘陵を一緒に歩いた時、此の辺りから見下ろす風景がギリシャの或る風景とよく似ていると歓嘆の声を挙げていた。」と、明治23~4年頃の体験を述べている。これはおそらく「山本通りから諏訪山周辺」を歩かれたのではないかと、推測されても可笑しくはないのでは?・・・

     タケットとは(Francis Fox Tuckett 1834〜1913)1866年〜68年3年間英国のアルパインクラブの副会長を務めた著名な創立会員で、6歳年下のあのE・ウィンパーが(アルプスのいたるところで著名で強大な登山家)と認めている。(黄金時代)と称されていた時代の人物。・・・更に詳しく書き綴るには、是まで溜め込んだ古い資料を取り出さなければならない破目に陥るので、何れ機会をみて・・・

     山本通りの古き写真から、少々薀蓄を・・・

     

    • こんばんは!

      shiratoriさん、WEB上で何かしら公開されてはいないのでしょうか。
      西宮ブログは少し拝見しました。
      貴重な情報いつもありがとうございます。興味を惹かれるものばかりで調べ物がどんどん増えていきます。

      ところで布引公園についてですが、あの写真の場所は現在の徳光院の山門あたりで合っているのでしょうか。
      布引公園が厳密にどこからどこを指して言うのかは知りませんが、現在の新神戸駅から滝上の展望台までで
      似たような形は山門あたりしか思い出せずです。

      削り跡は近々見に行こうと思います。

        • shiratori
        • 2017年 7月 31日

         西宮ブログ(本棚の独り言)検索有難う御座います。それにしてもよく探し出されましたね。全編お読みいただければ幸いです。

         (花園社)が管理する遊園地の敷地規模については分かりませんが・・・川崎正蔵が一体を所有された明治18年の図面によりますと、徳光院の山門は、確か、二箇所の存在が記されておりますか、布引側、其れとも、東の塩原学園側(表門・裏門)どちらなのでしょうか?。

         当時周辺を(布引山)と冠されたのは何時のころでしょうかね?

        • さらにこんばんは。です。

          全編拝見しておりましたが、そこから先、まだまだその内容については調べていない状態です。
          山門については、私が思った場所は塩原学園(現神戸第一高等学校)側ではなく布引側になります。

          ところで今回のコメントでいただいた中の「花園社」についてはよく知らず。
          布引山の初出も気になるところ。また調べてみます。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

AND 絞り込み検索

  • カテゴリー

  • タグ

  • キーワード

神戸市境界石

  1. 神戸市境界石No.78 再度山山頂の北側にて。蛇ヶ谷右岸から…
  2. 神戸市境界石No.93 学校林道 神戸港線一九鉄塔の南にて。…
  3. 神戸市境界石No.67・71 イヤガ谷東尾根3本鉄塔手前と菊…
  4. 神戸市境界石No.50・56 平和台自動車学院西の尾根から高…
  5. 神戸市境界石No.73・74 七三峠から極楽谷周辺。三森谷か…

ナレッジ記事

  1. 埋もれゆく美しい杣谷周辺の情景。過去と現在と。
  2. 摩耶山周辺の杉の固有名称、天上寺の千年杉などについて。
  3. 神戸市北区花山中尾台3丁目、阪神高速7号北神戸線下の「関係者…
  4. 【神戸100年 写真集】明治以降の布引周辺の風景。
  5. 六甲堰堤と山田堰堤間のイノシシの死骸についての続報と対策につ…

谷筋ピックアップ記事

  1. 六甲川遡行。大土神社脇から入渓、都賀谷上流右俣から丁字ヶ辻ま…
  2. 岩屋瀧上流 婆谷(ばばだに)を登る。婆谷第二砂防堰堤はいつで…
  3. 木ノ袋谷。木ノ袋滝の奥でゴルジュと滝群に出会う。
  4. 日柳川左岸の山小屋跡を見に行く。山小屋跡から支流を登る。
  5. 芦屋川下流域遡行。知らなかった滝群に出会う。弁天滝で遡行を中…
PAGE TOP