住吉道と打越山方面を結ぶ木橋を渡る。
13:34 住吉道に合流。ウロウロしていたとはいえ、スタートから2時間弱でまだ五助堰堤手前ってことに少々項垂れる。
大阪毎日新聞社建立の「六甲山頂上に到ル」の道標。これは下半分はなくなってしまったようだ。
進むと『20メートル先に1938年7月6日 阪神大水害で流された「右 ありま道」と書かれた石の道標があります。見てやって下さい。休憩所もあります』案内がある。
「約100m上に有馬に物資を運んだ旧有馬道の跡があり、この石標は1938年7月の阪神大水害でそこから流されたもので、およそ70年斑に発見されました。2010年11月」とある。その書体の感じから割と新しそうだ。
「約100m上」とは「上流へ100mの地点」のことを言っていると思うので、その地点がどこなのか探してみることにした。「旧有馬道の跡」というのはなんだろうか?
階段を登った先、道が北へ転じる地点に石垣がある。
石垣の地点から南を向くと松があって、その先にはどうも道があるように見える。とりあえず下ってみることにした。
今度は登りかえす。こうして見ると削れた幅広の踏み跡があるように見える。これが「旧有馬道の跡」なんだろうか。
石垣がある松の地点まで戻ってきた。ここにさっきの道標があったのかも知れない。
いかにも六甲山の古い道といった風情で和む。
六甲山2.8km、JR住吉駅6.2kmの道標を過ぎて、谷筋を巻くと荒れた尾根を登る展開。ここらあたりはかつての道とは違うのかも知れない。
雨ヶ峠方面からの道を交わって本庄橋跡の下流渡渉地点に来た。ここから本庄橋跡までわずかだけど遡行する。
橋の残骸でもありやしないかと歩いてみるものの…怪しげなものもあるにはあるけど、橋の跡かはわからないなぁ。
木橋の下に来た。たもとにはやけに大きな岩があるね。
本庄橋の残骸を見る。なかなか立派な石造りの橋だったんだなぁ。
説明板のイラストを見る限り、現在の橋のたもとにある岩は残っているっぽいな。裏には経緯(抜け荷の道etc.)などが書かれているので休憩しながら読んでみたりする。
最高峰下、どの道で一軒茶屋へ向かうか。今日は写真中央に見える黒岩谷西尾根を登ってみることにした。
こんにちは。はじめまして。
一年以上前の記事にコメント失礼します。
住吉台に20年近く住んでいる者です。
水車小屋跡地の看板に1番近い、入口付近の小屋には恐らく15年くらい前まで、絵の先生が住んでおりました。
現在は火事で先生が亡くなってしまい、廃屋になっています。
その奥は、私が物心ついた時には既に廃屋・廃集落になっておりました。
石カフェは週末には開いている様です。
あの付近は昔から上質な御影石(墓石などの材料になる鉱石)が採れる、採石場で、石を採石し、加工する工場がチラホラあります。人も住んでいます、石カフェは7年くらい前に気づいたら出来ていました…
神戸市東灘区住吉山手3丁目4の巨大な空き地に関してですが、こちらも物心ついた時には既に廃屋でした。中は蔵がある大きな個人邸宅の様なのですが、門が開いた所も人の姿も見た事がありません。現在取り壊し作業が行われていて、初めてちらりと中を見る事が出来ましたが、荒れ果てて空き地というか林の様になっております…
とっても地元の記事なので思わずコメントしてしまいました。
水車小屋跡地や石切場の近くは住んでいる私も謎が多い地域です。
これから寒くなる季節ですが、お身体には気をつけてください。
長文でのコメント失礼致しました。
うどこ祭さん おはようございます!
なんと2000年代に住んでおられた方が。少々驚きです。
その奥あたりは昭和の遺物でしょうか。
石カフェは7年前と。HP見てみるといわゆるカフェではなく、アウトドアの活動をしているんですね。
神戸市東灘区住吉山手3丁目4はそんなに前から空き地と言うか、廃屋ですか。
周囲に比べても異様に大きいからなにか謂れがあるのかなぁ。
ちと調べてみようと思います。
それにしても地元の方からのこうしたコメントは嬉しい限りです。
ありがとうございます!
大変楽しいハイキングをありがとう!
この位置が果して有馬のどの位置に当たるのか知りたくて・・
大阪毎日新聞社建立の道標「住吉二到ル 12,413.00m」とありウキウキ。
12413.00m-9818.172m(90丁)=2594.828m
また、住吉から六甲山まで9Kmで、そこから818.172m北が、その位置かー。
この位置にどんな意味があったんだろう
有馬の境界か、品物の引き渡し場所か、それとも~楽しい推理のひと時でした。
こんにちはー はじめまして!
楽しみの一助になったのかどうか、うれしく思います。
こちらこそありがとうございます。
何かしらお気づきの点などありましたら、またお気軽にコメントいただけると幸いです!