2026年11月3日 火曜日。今日も下見の山行で油コブシ道を歩くことにした。
タイトルにある「清水山」。これは六甲山脈の主稜線から南へ張り出している、油コブシ道と寒天山道がある山塊の名前。しかし現在では「清水山」という名前はほぼ聞かれなくなっている。
なぜなくなったのかを考えると、特にここ100年の間に、山名や道の名前が上書きされることが多かったんだと思う。
Muscleがこれまで調べた中では、古くからある名前以外では「KWS=神戸徒歩會→関西徒歩會」が尾根や谷に名前を付けている例が多い。あの摩耶山の天狗道さえも、である。

12:58 神戸市バス16系統「六甲ケーブル下」で下車して、取り付きへ。
そもそも今回改めて歩こうと思ったワケは、現在よく知られる「油コブシ」という名前に疑問があるから。一般には、灘の菜種油売りが有馬や丹波へ油を運ぶ途中、急坂で油をこぼしたことから「油コボシ」と呼ばれ、それが転じて「油コブシ」になったという説。
しかし、これがMuscle的にどうにも怪しい。そもそも大事な油を運ぶのに、こぼすような道を通ったんだろうか。それに、そもそも灘の油の主な売り先はお江戸。もちろん小商いもあっただろうけど、それなら前ヶ辻から唐櫃道があったでしょう?
もし、それでも油を持ってあがるなら、山上に何かあったということになる。

さて、マンションや施設の間を抜けて、最初の油コブシ道標。ところで、このあとたくさんの道標を目にすることになるんだけど、おそらく六甲山系の登路で一番道標が多いんじゃないかなぁ。なんせ「ゆるい道」「きつい道」の分岐もあるからね。地理院地図でも、やたらに分岐が多い山域。

道中、登り方向ではわかりにくかった道標がこれ。「森林管理道」分岐。道がありそうに見えない。坊主山方面への分岐になるんだけど。

しばらく登って、尾根の肩の広い場所に至る。ここが、麓にある一王山十善寺の創建の地と思われる場所。
少し話はそれるけど、ここが一ノ尾と二ノ尾の頭だろうと思う。ここから南へ延びる二つの尾根のうち、西側の鶴甲(山)から現在の十善寺に至る尾根が一ノ尾、東側の坊主山へ延びる尾根が二ノ尾。ちなみに、一ノ尾は中世の文書に「市尾山」とも記されていた。
現在の十善寺境内の脇にあるお宅の表札には、まさにこの古い地名とのつながりを想像させる姓が記されている。以前調べた際には、東京国立博物館の考古資料にも「尾山宮敬氏寄贈」という記録が見つかった。十善寺古墳や六甲村、十善寺境内の出土資料に関係するものだけど、もう少し調べてみたいところ。

閑話休題。
神戸史学会編『神戸の町名』には、芝晃氏が十善寺で聞いた話として、展望用の椅子の西側一帯にかつて寺があったという記述がある。ただ、今日改めて見た限りでは、南北方向にはベンチがあるものの、東西方向は斜面になっている。
特にこうして西側に寺が建っていたような平坦地があるわけでもない。まぁ、当時とは地形やベンチの位置が違っているのかもしれないけど。

北を向く。摩耶山の忉利天上寺と同じような尾根の肩だけど、広さはやや小ぶり。しかし寺があるには十分な広さに思える。
気になる問題は、どうやって水を汲んでいたのかということ。まぁここからなら、素直に西へ下って前ヶ辻谷の水かなと思う。

なにか遺構でもないかなぁと、いつもの流れで周辺を見て回る。東側にはここが「国有地」「砂防指定地」であることを示す看板や張り紙があったりする。
北東角にはこうしてなんだか加工されたような石があるものの、何も刻まれておらず。遺構らしいものは見当たらない。

少し気になったのが、ここ。平坦地の奥にある東屋。ここだけやけに整備されていて、基礎もある。コンクリの補強も見られるけど、案外これが過去の遺構だったりするのかも。
ここにたしかにかつて十善寺があって、灯明用の油を運んでいたというなら、まだ「油コボシ」説にも話がつながるんだけどなぁ。ちと厳しい気がしている。単純にコブシの群落があるっていうほうが説得力がありそうにも思う。

平坦地から少し登ると、祭事を執り行っていたかのような、謎の岩に囲まれた「三角点 清水」がある。
「油コブシ」でもなく「清水山」でもなく「清水」。この地域は高羽字清水。かつてはそれをして「清水山」とこの山塊を呼んでいた時期があったのだと思う。

進んでいくと、古めの道標「土橋阪急六甲」。うん、とても良い!先にもう一個ある。
このあと素直に登山道を歩けばいいのに、いつものクセで脇道へ…661mピークへ行ってみる。

661mピークにはプラ杭のみだったけど、ほんの少し北へ進むとコンクリ柱があった。これは登山道にも散見されるもの。ちなみにこれは「30」番。

それぞれじっくり見つつ…四面にはそれぞれ「タ」「ス」「神戸市章」、そして通し番号が刻まれているワンセット。
神戸市章があるので、市有地などの境界を示すものなんだろうけど、気になるのは「タ」と「ス」の二文字。「タ」は高羽(タカハ)、「ス」は住吉(スミヨシ)を表しているんじゃないかなぁ?つまり、かつての高羽と住吉の山林境界を示しているのでは?
帰ってから調べてみると、神戸都市問題研究所発行『都市政策』第142号(2011年)の「六甲山森林整備戦略の展開に向けて」に、神戸市が昭和43年(1968年)、高羽の「清水山」13ヘクタールを買収した記録があった。

661mピークを過ぎて進むと平坦な道になる。もう登りはあと少しといった地点。しかし、この右側にも気になるピークがあるので寄ってみることにした。

笹の海をかき分けて進むと立派な松があった。しかしそれ以外はこれといった収穫はない。そのまま北へ進んで登山道と合流し、ドライブウェイへ出る。

六甲廻遊路線カーブNo.406から対面の細道を登って、815mピークを見に行くことにした。これは竹中靖一『六甲』にも記載されている寒天山道を登り詰めた先の815mピーク。同書では「ゴルフリンクの八一四・五米に出る新道」と紹介されている。

サンライズドライブウェイをまたいで、細道に入るんだけど、入口にある道標が少し謎。なんで「油コブシ」って書いてあるんだ?もう遠いぞ。

この道は歩いてなかったなぁ…いかにも六甲山上の道っていう感じで、廃屋だか、現役だか、そういった門がいくつか。進んだ先で「ROKKO NOMADO」を過ぎて、折り返すようにゴルフ場脇の道へ入る。

折り返した先、815mピーク付近の道沿いには、「Y」と記された赤白の柱が立っている。

ちなみにこれが815mピーク。ゴルフ場内にある。さて、南西方向へ向けて進む。

道中、半分ほど笹藪に覆われていて、おそらくかつてとは様子が変わっていると思われる。
この水色の土嚢がある地点から左へ下っていく。

次に「P」が現れる。
これも帰ってから調べてみると、オリエンテーリングのチェックポイントを示す「コントロールポスト」と呼ばれるものらしい。柱に記されたアルファベットは、参加者が地図上の地点と照合し、通過を証明するための記号。
六甲山上には実際にオリエンテーリングの常設コースが存在し、2011年の山行記録にも、山上の三角柱状のポストを巡った様子が残されている。どうやら、このYとPもその名残のようだ。知らなんだなぁ。

笹が茂る道を抜けて、飛び出したのはここ。堡塁岩の入り口の向かい。道路脇を歩いていたらまず意識できない道だ。
さて、帰りの下り道へ。このあとは天望尾根を下るつもり。

が、しかし!2027年3月末までは、「六甲有馬ロープウェー表六甲駅撤去に伴い、安全確保のため通行止めとさせていただきます」との案内板があった。
なんてことだ…。ケーブルカーに乗ろうにも、800円をケチりたい。
15:30…どないしよ。前ヶ辻まで回っていると時間がやばそうだ。

時間も時間だし、近道をしようと堡塁岩西の尾根に行こうとするも私有地で入れない。

というわけで、もう1つ西の尾根を下ることにした。さっき天望尾根の次の候補として近道しようと考えたのは、写真正面の尾根。肩のところにお家が見えている…ぐぬぬ。

さっさと下るべきなんだけど、地図を見ると、山腹に破線道が続いているので、先に何があるか一応見に行ってみた。しかし、地図通りに斜面に踏み跡は消えていった。意味ね―!

行き止まりの破線道から少しだけ戻って、おそらくかつて1回歩いたことのある無名の尾根を下ることにした。どんなだったか覚えていないけど、まぁなんとかなるだろう。

16:02 尾根が南に曲がる地点に休憩に良さそうな岩があった。もう少し時間に余裕があれば休憩したいところだけど、そうもいかない。

どうにかこうにか前ヶ辻谷と支流の合流点に下りついた。ここはダムの堤内と言える場所。右手の斜面を登ってアイスロードに乗る。

天狗塚の北面を眺めながら、阪急六甲まで歩いて帰る。
それにしても、今回歩いた清水山。現在ではすっかり油コブシの名前が定着しているけれど、三角点には「清水」の名が残り、昭和43年の神戸市による山林買収の記録にも「清水山」の名が出てくる。
十善寺の旧地とされる平坦地、一ノ尾と二ノ尾、山中に残る境界柱。こうして歩いてみると、普段は何気なく通り過ぎている山にも、まだまだ気になるものがある。
果たして清水山と油コブシという二つの名前は、いつから、どのように使い分けられてきたんだろう?そして、油をこぼしたというあの話は、いつから語られるようになったんだろう。
今回は下見のつもりだったけれど、結局、確認したかったこと以上に疑問が増えてしまった。

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