鬱陶しい場所をやり過ごしたりしながらフェンスの端っこまで来た。コースの形状とフェンスの位置からTokiwaさんが仰るようにゴルフ場の敷地の境のフェンスだろう。
さらにもう少しだけ奥へ進むと谷止工がある。
これは現在のYahoo地図などでも確認できるものだ。しかしなぁ、結局ことが起きてから出来たもので、もうそこに守るべきものがないという…。
さて次のお題は市ヶ原堰堤から北へ伸びる踏み跡を辿ること。堰堤天端を渡ろうかと考えるも水通し部分に階段がないようす。一旦上流側に下りて対岸へ。
昨日の山行記録で使った画像をもう一度使う。この画像の中の「道がある」の部分を辿ってみたい。
堰堤の上流側右岸は石垣で埋められている。7番ホールの下あたりか。
市ヶ原堰堤の右岸天端へ登る。
登った先から道が続くかと思いきやパッと見でそのようなものが見られないので、一旦天端の高さをキープして奥下流側へ進む。
と!すぐに「南無妙法蓮華経」の石塔が現れた。いきなりこうしたものがあったので少々驚く。昭和4年に建てられたもの。背面には家名も刻まれている。どの記事だったか…蒼ざめた馬さんのブログでは江戸の末期に土佐の人々が移ってきて集落が形成されたようだ。
石塔から下の方を見ると昨日見た塩ビのパイプが見えた。ということはこの辺りから集落へ水を運んでいたんだろうと思う。
周辺は踏み跡がないようなので、石塔の奥から高いところを目指して登っていくとすぐに明瞭な道に出合うことが出来た。8番ホールから9番ホールへ続く道のよう。
松の倒木があったり、やや進みづらいところもある。
踏み跡が不明瞭になるものの、水路があったので水路沿いを進んでみることにした。
明るいところが見え始めるころ、水路が上りに転じる。
飛び出したのはなんとも中途半端な天狗道の途中。天狗道側から見ると水路があるのが確かにわかるけど、いつもスルーしていた…。いかに周りが見えていないかっていう…。
天狗道の取り付き付近に来た。ここにピッタリ行き着きたかったんだけどなぁ。
本来通りたかった方角を見る。木が茂っているものの、屈んでみると平坦な空間が広がっている。9番ホール周辺。せっかくなのでこちら側から歩き直すことにした。
MuscleTurtleさん、こんばんは。
2日連続の市ヶ原探索、お疲れ様でした。
世継山の北側エリアは、
やはりいろいろ出てきますね。
ゴルフコース位置の詳細が明らかになったことで、
同定し易くなったように思います。
286Pには遺構のようなものは無かったんですね。
駐在所もあり、昭和21年頃には、
74世帯、296人が暮らしてた市ヶ原。
地形的には鎮守の神様など
祀られてても良い感じですが。。。
私も折を見て、このエリアを探索してみたいと思います。
Tokiwaさん こんばんは!
あのコース図は参考になりますね。大体あれを想定して歩くと当時のようすが納得できます。
とはいえ、現在ではノーヒントだと、ゴルフ場があったことも含めてとても想像できませんが。
戦後のそのタイミングでそれほどの世帯があったのですね。知りませんでした。
ピークも隅々見たものの…あると思ったんだけどなぁ…。
Tokiwaさんの見立てを楽しみにしています!