神戸市境界石

(更新日: 2023.09.28) 2

中央区と灘区の境あたりを今一度探索。青谷川右岸から神仙寺通周辺、神戸市文学館の神戸市境界石116号の向きなど。

2023年8月13日 日曜日。暑い日が続きますね…Muscle夫妻は相変わらず遠出をするわけでもなく、アマプラで映画を見たりetc.と平常運転。
さて、ダイエットダイエットと言いながら全然太め解消できていないので、今日も歩きにいく。足の裏の調子が良くないので短めで、青谷川右岸に神戸市境界石を探しに行くことにした。このエリアを探索するのはもう何度目だっけかな…。


写真を撮り忘れたのでgoogleから拝借。市バス2系統青谷で下車して、その南側。現在ゴミステーションになっている場所に立派な道標がある…んだけど、現在ステーションの案内が打ち込まれていたりしてぞんざいな扱いを受けている。これなんの道標でしたっけね???


さて、今日はなるべく下から行ってみようというわけで、摩耶橋から下流へ四軒目あたりにある右岸のステップを伝い青谷川へ降りる。

上流へ進むと少し高い谷止めがあるんだけど、右側にステップがあるから問題ない。


摩耶橋の真下に来た。取水設備を乗り越えると右岸にアルミ梯子があるのでそれを使って上流へ進む。


2m程度の小滝現る。釜には意外にも小魚が少々。ここで一生を終えるのかどうか。小滝の先には堰堤がある。左岸から巻くのが楽そうなんだけれど、探索エリアは右岸なので60度程度の斜面を慎重に登っていく。
そこからしばらく右岸の斜面を行ったり来たり、九十九折りに登ってみたり…結果やはり石柱の発見には至らず…ブログには書いていないけれど、もうかれこれ5回くらいは探しに来ていて結果見つけられない。もう今日でこのエリアの探索は最後にしようかなぁ。


またハズレかと項垂れながらもとりあえず斜面を登って97号。下らずに登ったのは、右岸の斜面下りが危ないから…。なかなかの急斜面で登りはまだしも下りは面倒。それにしても終始虫が纏わりつくし、急斜面だしで写真を撮る気持ちの余裕がなかった。
このあとは96号まで進んで、東山の東西の道へ合流して青谷道へ下る。


青谷道を下っていくと道路の脇に石柱らしきものが埋まっている。2019年2月に訪れて気になった場所。その時は「また今度探る」なんて言ってたけど、それから4年半も経っている。


今日はこのために一応スコップを持ってきたものの、手で掘り返してみる。境界石なのかと思って淡い期待をしていたものの、三面とも何も書かれていない。もしかして丁石かと思うも、青谷道入り口の二十(廿)丁からそれほど距離がない。
果たしてこれはなんなのか…石段の類か、道路脇の土留の類か。一応埋まっている面を見ようと思い頑張って掘り進めてみるものの、雷が鳴り天気が不安定…諦めることにした。


帰りは現在の中央区と灘区の境ではなく神仙寺通あたりの道を探りながら歩くことにした。
あるお宅の石垣に目をやると、「上月」と書かれた石柱が埋まっている。もちろんそのお宅の名前とは違う。う〜ん、こうしてかつての境界石が再利用されているんだなぁ。


先程の地点からすぐ近く。道路と住宅の間の溝に「木元」の境界。ここらあたりは傾斜地なので住宅には立派な石垣があり、こうして今も昔の境界石が残っていたりするのが新たな発見。
ところでこのように住宅街でキョロキョロ・ウロウロとしていると、山っぽい服装をしていても(いやだからこそ?)不審人物の類…年配の方に声を掛けられる。事情を説明すると納得され「アスファルトが敷かれて、もうそういうのは無いかもね。まだ土だった頃ならあったかも知らんけど」とのこと。ですよねぇ…。


さて南へ下る。これまでの経験上、境界上には現在学校や水道施設、市営住宅、公園、郵便局、変電所などがある。
この←灘区と中央区→の境の道はそれが顕著。松蔭、海星、王子スポーツセンター、上筒井小学校(中央区側)、神戸市文学館などが続いている。石垣も隈なく見てみるものの、特に何もなし。


神戸市文学館の116号石柱に来た。少し前にも調べていたんだけど、今一度来た次第。


調べていたというのが、このてっぺん。境界を示す切れ込みがどうだったかな、ということ。


東から西へ向かって、てっぺんを見る。なぞってみると左下にL字の切れ込みがある(写真でもなんとなくわかるでしょ?)。ということは林田区の1号から始まって、これが最終の石柱なのかも知れない。
しかし、かつての神戸市の範囲は現在の2号線のほんの少し先の海岸まであったわけで、ここが最終地点ではない。
ここで「メディアウォッチャー -_- のぶlog」戸倉さんの記事から写真を引用させていただく。


現在の原田線西側から「神戸文学館(旧関西学院ブランチ・メモリアル・チャペル)」を撮影したもの。拡大してみてもこれを見る限り、現在の場所に石柱はないように見える。いずれかの時期にどのような理由で116号が移設されたのか。どなたか経緯をご存知ないですかね?
ちなみにこの石柱について少し前に文学館に問い合わせたところ「神戸市に聞いてみてください」とのことだった。以前に神戸市にこれらについては問い合わせ済みで「わからない」とのことだった。八方塞がり。
しかしこの写真、手前葺合区の田畑と向こう側の間に随分立派な塀があり、くっきり別れている。何なら門まであって…異様だ。
生田川右岸、外国人居留地との境目も当時は同じような感じだったのだろうか…また色々と調べておこうと思う。

今日は神仙寺通に境界石が埋まっているのがわかったことがとりあえず収穫かな。街中も注意しながら歩いてみようと思う。

街中に残存する境界石探索。神戸市兵庫区新開地 【道|松竹】公園筋とその周辺。前のページ

【神戸市須磨区一ノ谷3丁目】二の谷川遡行。河口から旗振山まで。次のページ

コメント

    • 旧葺合区に住んでいた人
    • 2023年 8月 14日

    このあたりはいわゆる「場末」で、土地が余っていたから公共施設を建てることができたのでしょう。
    それにしても、松蔭や関西学院などの、お嬢様学校・お坊ちゃま学校というイメージの施設は神戸市の外側で、市立高校や市立小学校は神戸市側というのが、旧葺合区と灘区の地域イメージ差を表しているような気がします。
    これを言っていいのか分かりませんけど、旧葺合区には大きなスラム街があって、治安が悪かったのです。私立学校は旧葺合区を避けたのかもしれませんよ?

    • 旧葺合区を避けた、たしかにそのように思えますね。
      実は20年以上前ですが、神戸に来てもの知らずで「家賃が安いから」という理由で、いわゆる新川の下流東側のど真ん中あたりに住んでいました。
      真砂グラウンドの南にあるトンネルを抜けた先は現在HATゆめ公園になっていますが、当時はまだ臨港線あたりにバラックが残っていました。

      熊内あたりの高い場所から生田川の方を見ると生田・葺合の境が壁のようになっていて、一種異様な雰囲気を今も感じます。

      そういえば最後で拝借した写真、関学がある方と手前葺合の田畑の境界がキレイな壁で仕切られていて、原田線のところに扉があるのが興味深いです。
      ↑※このコメントは記事に追記しておきます。

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