2018年10月28日 日曜日。9:15起床。昨年の春、ヤマレコのkurokuwaさんのレコで尾根上に構造物があることを知る。行きたい行きたいと思っていたものの、随分と時間がたってしまった。湊山谷周辺の記録にはいくつか地元の方からコメントをいただいたこともあって、周辺にはもう少し訪れてみたいと思っていたのでその一環として本日行ってみることにした。
神戸市バス7系統平野で下車して西へ歩いて天王橋。北を見るとこんもりしたところが天王谷西尾根。その西側(写真左)が湊山谷。今日歩くのはその西側の尾根。
「豊国稲荷」と表示のある方へ進んでいく。鳥居をくぐって路地を北へ進む。立派な石垣があるお宅を左に見ながら山へ入っていく。
まずは湊山谷を進む。かつて住んでいた方が利用したであろうしっかりした生活道が付いている。谷の水量はごくわずか。
豊国稲荷はなくなっていて、現在は大山咋神社境内末社に遷座されている。神社跡を右に見ながら湊山谷を進んでいく。
岩形砂防ダムをすぎると廃屋群が始まる。堰堤上流側にも自転車やら冷蔵庫やらが転がっている。
「ミナトヤマ 5 R10」の電柱がある地点からスイッチバックで斜面を登り始める。ここが一応尾根への取り付きってことで良いだろう。
尾根への取り付きとは言っても実際は住居のアプローチといった感じ。一部は崩れていたりする。この坂道の途中には2件廃屋があって“生活のにおい”が残っている。
廃屋を回り込むように登ると尾根に合流する。尾根はMuscle的に快適そのもの。プラ杭や所有を示す個人名が刻まれた石柱が続く。
左に目をやると天王町を挟んで烏原貯水地が見える。この角度から烏原堰堤を見るのもなかなか良いかも。さて尾根を進む。道中はアンテナが転がっていたりする。
170mピークに至る。そのまま流れでまっすぐ進むと道は消えている。間違えて左奥へ進んでしまった。戻ってきて右奥へ下り気味に進んでいく。よく見ると幹や枝に青色テープが巻かれている。尾根筋を進むと右手の湊山谷方へ下る九十九折の道も見られた。いつかまた辿ってみよう。
239mピークに来た。ここには三等多角点や3級基準点、基準三角点がある。この先が謎の遺構エリア。
MuscleTurtleさん、こんばんは。
思わず触手が伸びる記事ありがとうございます(笑)
謎の施設跡ですね!
少し簡単に確認した結果として、
明治44年から約10年程度の間隔で所持している
市街地地図には該当場所に建物などの記載なし
謄本を持っている、測量年(M43,T12,S10,S22,S42,S60)
の地形図にも該当場所に建物などの記載なし
兵庫区の歴史書「由緒あるまち 兵庫」に付近の記述なし
丁度近くに山陽新幹線の神戸トンネルが通っていますが、
山陽新幹線新大阪岡山間建設工事誌に施設があった記述なし
私がよく参考にしている軍事関係のサイトにも記載なし
MuscleTurtleさんも掲載されていますが、
衛星写真(1946,1964,1969)に建物があるような感じ無し
ここからは考察です
窓が小さい→灯火管制や危険物・電気を扱っていた建物
小さい窓以外に大きな窓があり、その壁面は既に崩れてる可能性
壁面がしっかり残っている→そんなに古くない可能性
煉瓦の残骸はありましたか?東山砲台には煉瓦の残骸が多数ありました
考えられる可能性
やっぱり軍事施設
水道絡み(烏原貯水池)
砂防関連
S42水害の復旧関連
山麓バイパス(天王谷IC)関連
などなど。
続報に期待しております。
Tokiwaさん こんばんは!
コメントありがとうございます。こちらこそ大師道の茶屋は生唾ゴックン興味深く拝見しました。
正直個人的にたまらない内容でした!
対岸の廃屋は中茶屋だったのかぁ!とか、とか。
簡単に確認って…私にはとても軽く思えませんが、資料多数参照されても手がかり無しとは。
烏原貯水池関連といえばまっさきに思いつくのは天王谷からの隧道ですが、それは少々南を走っていますしね。
神戸トンネルはほぼ真下ですが。
戦後の東山の空中写真のような明らかな遺構は写ってませんしねぇ…本当になんなんでしょうか。
レンガなどはなかったように思います。炭や焼け跡などもなかったと思います。
尾根上は一通りもれなく撮ったのでほぼありのままです(ちょっと寄りすぎですが)。
あとは鞍部から両側の谷筋を探索してみようかなと思います。
Tokiwaさんもぜひ訪れてみてください!その方が解決が早そうです(笑)
追伸です
多分石垣の家の手前の二軒一つは叔母の前の家で
もう一つは親戚の家と思います、石垣の家は母の知り合いに貸してました。
そこを回り込んだのでしたら、よく子供の頃広い場所があって木にロープをくぐって、ターザン遊びしてました
祖父は三宮のキョルイチ?南京町の下の方のビルにいたのですが、戦争で恐くて一家で湊山谷に越して来たと聞きました、畑を耕し椎茸を栽培してました
周りは親戚ばかりでした。
その近くはそんな人達ばかりだと思います
もしもっと奥にそういう施設があったのなら、
祖父はそんな所に行ったんだろうかと不思議です?
色々不思議がありますね(笑)
猪はやはり音が嫌いなので鈴が良いと姉が言ってます。
さすがに鍋は持ち運び出来ないですよね。
又謎が分かりましたらお願いします、兄にも聞いてみます
無理しないで気をつけて楽しんで下さい。
重ねて貴重なお話ありがとうございます。そうした事情であのあたりができていったのですね。
椎茸を栽培されていたという話は意外でした。てっきり竹炭などの類かと思っていた次第です。
子供たちが遊んでいたなんて、今の感じからは想像もつきません。
水害があったときとかは大丈夫だったのだろうか…とか。
不思議なことが本当にたくさんです。
お話の結果また楽しみにしていますね!
いえいえ全然写真見せて頂き楽しいですよ、猪は音が嫌いらしく山の人は鍋を叩いて歩くらしいですよ。
灘に住んでたから六甲山や布引とかも懐かしいですよ、本当に楽しみに見せて頂いてます。
足場も悪いでしょうから十分気をつけて山登り楽しんでください。
そう言っていただきありがとうございます!
猪はそうですか、火打ち石のようにして鳴らそうかしら…。
灘に住んでおられましたか。そちらにもちょくちょく行っていますので、
何かしらお気づきなどあれば、コメントいただけると幸いです。
今晩は、また行かれたんですね、初めの長い廃屋が多分わたしの家があった所です、2階建てだったんですが、叔母が焼けた後長い家を、建て住んでいたようです、
この前は雨上がりで、姉や主人に止められて行けませんでしたが、その建物近くまで息子に付いてきて欲しいとお願いしてます。
そこを離れてもう40年以上になりますが、上には色々あるんですね、育って走り回ってましたが
知らない事ばかりでした。
その近辺の事なら11才離れた兄が詳しいんですよ
それではお身体に気を付けて、また色々見せて頂きます、有り難うございました。
猪に気をつけて
淡路島にも最近出て来るんですよ。
あーちゃまさん こんばんは!
すみません、勝手にパシャパシャと…。ある程度節度を持って行くようにします。
行く際はくれぐれもお気をつけくださいね。
今回の出会った遺構は谷筋の最奥にあたると思います。お兄様が何かしらご存知であれば良いのですが。
イノシシの罠には気をつけようと思いますが、果たして反応できるかどうか…。
こちらも気をつけて行くようにします。
尾根を挟んで西側の話になりますが、権太大天神(ごんだゆういなり)のこともネットで色々見ることができました。
色々とあるもんですね。
今後ともよろしくお願いします。
MuscleTurtleさん、こんにちは。
同じ遺構をみても、こうも見方が違うものかと感心させられました。私は単純に「なんか不思議な廃墟があったわ」程度です(笑)
なかでも「聴測照射所」という、初めての言葉についググってしまいました。調べると、なるほどMuscleTurtleさんのおっしゃる通りの軍の施設に思えてきます。この遺構の南には三方に広がる支尾根があり、地形的にも神戸港(軍港)を見下ろす位置にあります。また、基準点や三角点は帝国陸軍が設置したもので、それらがここに集中しているのも何かの意味がありそうです。ここが兵舎とするならば、ひょっとしたら周辺に発電所や聴測照射所の痕跡がありそうですね。また、周辺探索に行ってみたいと思います。
kurokuwa65さん こんにちは!
空中写真を追加しておきました。素人考えですので多分見当違いだと思います。
そうしたものならその筋のマニアがすでに見つけているはずで、ネットにも情報が転がっていることだろうと思います。
でもなかなかの規模だと思いますので、地元の方なら何かしらご存知なのかも。
気になることがいくつかあったので、私もまた行ってみようと思います。
この鞍部をグーグルマップで拡大するとしっかりと構造物の表示があるので、やはり何らかの施設があったと思われます。それにしても、グーグル(ゼンリン)はどうやって調べるのでしょうか不思議です。ご参考までに。
おっしゃる通り、ありますね。
両側の谷も行ってみようかなぁと思っています。
ネットでちょこちょこ見ていると、あの辺りは色々とあるようで。
イノシシの罠もあるようなので、お互いに気をつけましょう!