大滝を過ぎて進むと、休憩にはうってつけの岩がある。渡渉地点を過ぎると「つうほうプレートち47-7」がある地点に至り、そこから右手に石垣が見える。
そこにあるのが謎の遺構。前も寄ってみたんだけど、今一度探索に行く。
なんだか妙に立派なアプローチ。岩のようすを見る限り、そこまで古くはなさそうに見える。
折り返すように階段道で、上は平坦になっている。お堂でもあったのか、地蔵でもあったのか、いつ建物はなくなったのか?
一角にはコンクリート製と思われる何らかの基礎が。う〜ん、しかし基礎にしてはその穴の数、配置が異様…。気になるなぁ、この謎。お墓の基礎のようにも思える。しかしお墓となると話しがおかしいので、供養塔とかかな。
改めて考えてみると…地蔵谷の特徴的な石階段との類似性、アプローチの部分も道幅があり、地蔵谷道に見られるものと似ている、綺麗に片付いているという現場、1970年代の空中写真の様子…
以上から「堰堤工事の飯場」だったのだろうと思う。石垣も宗教関連と考えるにはちょっと粗いかも。
宗教関連だとして奥の院でもありやしないかと、一応奥の方へ登ってみるものの、岩や灌木の細尾根。このまま天狗道まで行ってみても良かったかも。さて、このあとは今現在の地蔵谷をしばらく登っていく。
地蔵谷第三砂防ダムを巻いて、下っていくと「あぶない 看板」がある地点で右手に谷筋が現れる。この支流を経て天狗道に至るのが、かつての地蔵谷道の一つ。
進むとなかなかいい感じの小滝がある渡渉地点。対岸に移り登っていく。
地蔵谷第四砂防ダムを越えた先にある渡渉地点。写真左上に道があるんだけど、ここは谷中を進むのが快適だと思う。ちなみにこれは三俣の右俣。
かつて(本来?)の地蔵谷は一帯どの道を指すのかはまたの宿題。多分答えのない宿題だけど、Muscle的には地蔵谷第四堰堤を越えた地点の三俣の中俣を詰めて、黒岩尾根南の緩斜面を大岩方向に抜けていく道だろうと思う。なんならさらに詰めて、前歩いた659mピーク南の鞍部まで登ってもいいけどそれは蛇足。
アドベンチャールートへの分岐などを過ぎ、右へ曲がってゴロゴロ坂へ向かう地点。三又の杉があった。これは見逃していたなぁ。いつか地蔵谷マザーツリーになるのかも。この写真左手、すぐに治山ダムがあるんだけど、その先の谷筋は歩いていなかったので行ってみる。
大岩がゴロリ。右岸は表裏ともえぐれていて、いつかこのダムも壊れてしまいそう。さしたる発見もなく送信所手前で天狗道に合流する。
掬星台にある森林整備事務所の平成25年12月の「摩耶自然観察園“まやもりん”散策マップ」によると「海の丘」と名のつくベンチから西方。ここからの景色は落ち着くなぁ。しかしスマホの限界を感じる。
「夕陽の道」を進んで「風の丘 展望デッキ」で腰を下ろしてしばし休憩。このあと自然観察園をグルグル回る。トリムコースの名前はなくなってしまったよう。
この記事へのコメントはありません。