早速石積堰堤。このタイプは瑞宝寺谷にあるのと同じかな。年代も同じ頃のように思える。水通しから水が流れている。堰堤上流は水溜りかと思いきや満砂状態でその上を水が流れていた。
手前で1基H23年製の治山ダムを越えるとまた堰堤。石積のダブルダム。右から越える。
ところでこの堰堤、下が抜けてしまっている。やがて谷筋の岩屑に姿を変えるんだろう。手前に転がるパーツはどこから崩れたものかはよくわからなかった。右岸の奥にも谷止工があり「ダム銀座」といった感じ。
手前で1基H23年製の治山ダムを越えるとまたまたダム。多分昭和40年代のものだろう。ここは二俣になっていて右俣にはリボンが続いていた。土留の木枠が派手に崩れ去っている。ダムを右から越えて左俣へ進む。
進んでいくと2段の小滝が現れる。がしかし!その先に石積堰堤が見える…。いやはや本当に多いなぁ。これだけ多いのにH23年製の新しい治山ダムが本当に必要だったのか…いやでも、古いのは崩れ気味だし必要だったんだろう。
これが最後の治山ダム。これも多分コンクリの感じから昭和40年代だろうと思う。右から越える。
上流には廃タイヤが散乱。土砂や流木を食い止める他にもタイヤを食い止める役割も担っているんだなぁ。芦有道路に接近しているのでエンジン音も気になりだすいつもの展開。
笹が茂る緩斜面を抜け、先に見える峠状で熊笹峠へ至る道に合流。林山分岐を通過して熊笹峠から奥池へ下っていく。
水道施設を過ぎると道中にはいくつか消火栓がある。こんな山の中にどうしてあるんだろう?遠隔操作できるようにも見えないし、手動なのかな?謎。
この下り道は踏み跡がいくつも別れている(下り着く地点は大体一緒)。分かれ道を左、左と進んでいくと古めかしい看板があった。「掲示 濫リニ林中に立入リ砂防設備ヲ損壊スベカラズ犯ス者ハ處罰セラルベシ 兵庫縣」
適当に歩きすぎたか西宮市との境に来てしまった。あまり歩かれていないようで足元もフコフコ柔らかくなってきた。適当に芦有ドライブウェイ方面に下っていく。やがてドライブウェイに辿り着くも、歩行は禁止。道路脇を西へ進む。
西へ進んで疑問の地点がここ。多分というか、どうみても公設の道標が芦有ドライブウェイを渡るように案内されている。通行は禁止だけど、横断は良いのだろうか?どうも気が引けるので、このまま西へ進む。猿丸橋を過ぎた地点から住宅地を抜けていく。
住宅地を抜けて、南に横断歩道。さすがにここは歩いても問題ないだろう。渡った先右手が奥池バス停。阪急芦屋川駅までの帰りの阪急バスが来るまで20分ほど待つ。案外寒い。
今日歩いた軌跡
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