石井川(開ヶ谷)に降り立つ。一応石井川と言っているものの、流れはほとんどない。倒木も煩わしく難儀する展開。倒木の下には谷止があった。地味な谷を進んでいく。
おぉ!!!!一瞬橋かと思ったけど、これは谷止工に違いない。こんなものがあったなんて。銘板はないかと探すものの苔に覆われていてよくわからない。※これが多分神戸水道の施設「梅ヶ谷開渠」だろうと思う。
とりあえず左岸天端から右岸へ渡ってみる。中間地点には出っ張りがあって、何かしら意匠がありそう。落ち葉を払ってみるもなんだかわからず。ここは左岸支流が入り込んでいる地点で、その先にはダム(開ヶ谷第三堰堤)があった。
本流側にも小規模なダム。踏み跡はダムの左=右岸にある。なんともはや、すごいゴミの量だ。鍋や缶、婦人靴まで転がっている。
無名と思われるダムを越えて進むと割としっかりした踏み跡になっている。これはどうしたわけか…。
左手の斜面に目をやると杭が転がっていた。おや?これは摩耶東谷で見た皿上の構造物とよく似ている。というかまさにそのもの。なるほどあれば石柱の地面と接する土台部分だったんだな。
明瞭な踏み跡はほんのわずかで消失。再び藪に突入する。
藪を抜けて進むと聳え立つ開ヶ谷第二堰堤。昭和46年11月完成。ここで踏み跡は消滅していた。この地点までは人の営みが山奥まで届いていたようす。
ダムの上流にはドラム缶が転がっていたり、立入禁止看板が転がっていたりする。ところで神戸市情報マップの白地図によるとここは「関ヶ谷川」とあるけど「開ヶ谷川」の間違いだろう。
倒木多めの谷筋を進んでいく。いい加減しんどい…。先に「西谷橋」が見えてきた。
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