2018年4月21日 土曜日。11:48起床。今日は真夏日になるとか。谷に行こうかと思っていたもののやや遅い。というわけで先週やり残した極楽谷周辺の探索に向かう。
自宅を出発し、関西ユダヤ教会の脇を抜ける。奥に見えるのが堂徳山。その西側にあるのが三森谷=東亜ホテル川。なんで「三森谷」と呼ばれるのかはよくわからない。三森稲荷はあるけれど。
写真右手にある尾根と写真奥に続く谷道の分岐地点。尾根から珍しく人が下ってきた。「この先道あるんですか?」と尋ねられ「途中まではありますけど、最後は崖状です」と答える。谷道に入ると前方から別の人が下って来て面食らう。どうやら引き返してきたようで、「一緒に行っても良いですか?」と言われ「最後の方は道がありませんよ、それでも良ければ」と一応伝えておく。妻とも歩いた道だし、何度も歩いているのでおそらく問題ないだろうと思う。
こんなところを初対面の人と歩くとはなかなか珍しい展開。東から小さな谷筋が交わる地点、ここから先は道がなく、土留の杭を頼って進む。滑ったら下まで落ちるので危ない。土留杭のトラバース後は谷筋を辿り、右岸の斜面を登って尾根に出る。尾根からは一本道。ここで案内した方と別れる。無事に修法ヶ原池へ行けたかしら。
「神戸・箕谷線カーブNo.25」でドライブウェイに出る。二本松林道までは再度山ドライブウェイを進むことにする。カエデの新緑が眩しい。Muscleは紅葉より断然新緑が好き。
二本松林道を進んでいきアケボノスギの植林帯。無残に倒れているものが数本。こうして改めて見ると、樹高に比べて根が貧弱だなぁ。
猩々池からさらに林道を進んでここ。奥に謎の私有地(過去ここら一帯には「若者の家」や「ひふみ園」が、もっと前には「兵庫抑留所」があったそうだけど)を見ながら七三峠方面へ進む。
奥に閉鎖されたトンネルがある地点。通常なら左へ…なんだけど、道路の右手を見ると階段が見えた。
寄り道の探索といく。どうもこの階段自体は周辺の石垣などと比べて新しいもののよう。階段の上は平坦になった何もない場所。さらに奥へ進んでみる。
謎の連絡橋や瓦などの残骸が広がる平坦地や、一段上に上がる石階段などがある。とりあえず周辺をもう少しうろついてみる。
シンボリックな石が3つある場所から下ると古い井戸があった。
さらに下ると受水槽なども見られた。周辺には目薬や小瓶なども転がっている。比較的最近まで営みがあったようす。七三峠周辺の過去の情報についてはこちらのサイトの情報が詳しい。
一番下の連絡橋の脇には貯水池。不気味なのでさっさと抜ける。
瓦礫地帯を抜けていくと左手に私有地。
私有地の脇を抜けていくとそこにはシンボリックな巨木。かつてのここら一帯の入り口付近にあたるんだろうか。その反対側にはトンネルがある。トンネルの状況についてはこちらのサイトが詳しい。本当に世の中にはマニアックな人がたくさんいると思わされる。さて、メインは神戸市境界石の探索。七三峠へ向かう。
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