2018年5月26日 土曜日。お昼を前に妻の実家がある北区へ向かう。5月21日の記事でTokiwaさんとコメントのやりとりがあって、その中でここ最近探している明治33年の神戸市境界の石柱の続きが別のところにもあるのでは?という予測があった。実質「神戸市境界石シリーズ」の番外編。事前の想像では大正九年の石柱があるんじゃね?と期待していたものの…。
北区星和台を出発し、しあわせの村へ入っていく。道沿いのお花畑がきれい。曇り空が残念だ。
広場ではテントを張る人、バドミントンを楽しむ人などなど。なかなかいい場所だと再認識した。
日本庭園に寄ってみた。こんなものがあったんだなぁ。ノルディックウォーキングなるコースもあるようだし、改めてしあわせの村は訪れてみようと思う。
アーチェリーの競技会が行われていた。にこにこハウスの奥に見える小ピークが北区と須磨区の境だ。まずはそこへ行ってみようと思う。
小ピークに至るも比較的新しそうな神戸市の市章が刻まれた石柱があるのみ。正確な設置年代はわからないけど、見た感じ古くても昭和40年代頃のものに見える。一旦北側周辺を探すも何もなし…南西方向に下っていく。
写真右手の斜面から下ってくると明瞭な道。しあわせの村から続いている遊歩道のようなものみたい。このまま西へ進んでいく。道中は廃屋が数軒。
パッと視界が開けるも、土地勘がなく少々不安に思ったりする。おそらく藍那と白川を結ぶ道のあたりだろうと思う。
GPSのログを見ているので進むべき方向だけは把握している。写真左手の畑の間を抜けて再び山へ。
進むべき方向といってもこんな感じで…そろそろ蛇が怖くなってくる季節。油断はできない。廃屋を右に見ながら藪に突入していく。その奥は谷の形状。
予想に反して藪はすぐ終わり、杉の植林帯になっていた。谷状の地形から尾根へ移動する途中、明瞭な道に出会う。これは白川の方からひよどり台へ抜ける道のようだ。
右手に小さなため池があるあたり。ヤマカガシかな。なかなか大きいヤツ。眺めているとため池に入っていった。
かつては荷車道だったのか、そんな幅広の道が続く。一部は壁が崩れていたりする。
藍那から星和台まで歩いたときと同様のフェンスが執拗に続いている。
もう少しでひよどり台へ出るところの手前、区界を追うべくここから道を離れて南へ下る。しかしどうにもこうにも歩きにくい…。
どうにかこうにか斜面(写真右手)を下ってくると畑に出た。軽トラが通れるほどの道幅だ。写真手前側へ進むも家がある。その手前が区界なわけだけど、進むのは憚られる。というわけで区界を一旦離れてこのまま下っていくことにした。
Muscleさん、こんばんは。
探索お疲れ様でした。
境界杭を期待していましたが、
残念ながら戦前のモノは出ませんでしたか。
私有地や立ち入り禁止の場所が多く、
探索は困難そうですね。
境界杭ではありませんが、「神戸の道標」によりますと、
多分、しあわせの村の西側辺りの須磨区と北区の境界に
辻を示す道標があるようです。
又、探索記事の最初の方の踏み跡(廃道)は、
この道標の記述の道でしょうか。
神戸の道標の記述は以下の通りです。
白川上村の鷲尾本家から北へ一五〇メートルばかり、
右手につづくたんばが切れて川筋への下り坂となるあたり、
左手の雑木林の斜面に立派な道標が立っている。
ここはむかし辻であったという。
谷筋を登って鷲尾家の墓地をすぎ、藍那を経て有馬に行く
道が通じていたらしいが、今は辿れそうにない。
Tokiwaさん こんばんは!
発見には至らず空振りでした。
おっしゃるように、本当に「明示された私有地」が多く…。このあたりはやはり経緯が色々あるから
そんなものかなと思ったりします。
今日歩いたエリア外の北側の飛び地なんてまさにそうで…。
谷あいで切り開かれた畑はそういう類なんだなと改めて思いました。
神戸の道標の記述については、周辺を歩いてないのでなんとも言い難いですが…
ご覧になられたかも知れませんがこちら
http://21846851.at.webry.info/201410/article_3.html
このあたりなのですかね。またいつか歩いてみようと思います。