開けた支尾根(今登ってきた尾根)の肩に至る。関ヶ谷からの尾根と合流し290mピークへ進む。
290mピークあたりはイノシシ多数。逃げるのを待って東へ斜面を下っていく。メガネの落とし物が一点。枝に掛けておく。
斜面を下ると兵庫区烏原町深谷の最奥にあるプレハブ小屋に至る。
プレハブ小屋からそのまま東へ階段を上がる。その先はペット霊園跡。
294mピークにある反射板の周辺は伐採されていて見晴らしが良くなっていた。
北に菊水山を見る。菊水GC閉鎖の原因となった崖崩れも見える。東には鍋蓋山から遠く摩耶山まで一望できる。
さて280mピーク。ここから南へ下れば通常の天王谷西尾根の下り。ここから東へ伸びる破線道の支尾根を下ってみることにする。
出だしから尾根を外して獣道のトラバースを経て尾根に復帰。
一部やや判然としない箇所があるものの石柱は続いているし全体としては明瞭な部類。
山麓バイパスが眼下に見え始めるころ、右手に階段が現れた。破線道とは違うようだけど、一旦下ってみることにした。
2段階の階段を下るとフェンスに遮られた。もう1段道路へ向けて階段が続いているんだけど、フェンスを越えるのは憚られるし、どこに出るかも不明なので戻ることにした。
階段の箇所から東へ進むとどうやらこの先は崖のよう。破線道は北へ下るようになっているけど、それらしい踏み跡が見られないので、左手の斜面を適当に下っていくことにした。右手には天王谷ICの屋根が見えている。
谷止工や住宅が見え始め安堵する。なんとか今日も無事に終えられたか…。
出てきた所を振り返って一枚。何度か振り返りながら下ったけど、それらしい踏み跡はなかったなぁ。このあとすぐに有馬街道に出て北上。横断歩道から旧道のバス道に入る。
最寄りのバス停は平野橋。しかし1時間に1本あるかないかの過疎路線。待っていてもしようがないので周辺を見ながら下る旧道を下っていく。
今後の周辺の山行の参考にちょっと闇が深そうなエリアをいくつか探索していく。
今日は謎の遺構を見るのが主目的だったわけだけど、Muscleの予想は明後日の方向なのか。実際何に使っていた施設なんだろう?謎だ。
今日歩いた軌跡
MuscleTurtleさん、こんばんは。
思わず触手が伸びる記事ありがとうございます(笑)
謎の施設跡ですね!
少し簡単に確認した結果として、
明治44年から約10年程度の間隔で所持している
市街地地図には該当場所に建物などの記載なし
謄本を持っている、測量年(M43,T12,S10,S22,S42,S60)
の地形図にも該当場所に建物などの記載なし
兵庫区の歴史書「由緒あるまち 兵庫」に付近の記述なし
丁度近くに山陽新幹線の神戸トンネルが通っていますが、
山陽新幹線新大阪岡山間建設工事誌に施設があった記述なし
私がよく参考にしている軍事関係のサイトにも記載なし
MuscleTurtleさんも掲載されていますが、
衛星写真(1946,1964,1969)に建物があるような感じ無し
ここからは考察です
窓が小さい→灯火管制や危険物・電気を扱っていた建物
小さい窓以外に大きな窓があり、その壁面は既に崩れてる可能性
壁面がしっかり残っている→そんなに古くない可能性
煉瓦の残骸はありましたか?東山砲台には煉瓦の残骸が多数ありました
考えられる可能性
やっぱり軍事施設
水道絡み(烏原貯水池)
砂防関連
S42水害の復旧関連
山麓バイパス(天王谷IC)関連
などなど。
続報に期待しております。
Tokiwaさん こんばんは!
コメントありがとうございます。こちらこそ大師道の茶屋は生唾ゴックン興味深く拝見しました。
正直個人的にたまらない内容でした!
対岸の廃屋は中茶屋だったのかぁ!とか、とか。
簡単に確認って…私にはとても軽く思えませんが、資料多数参照されても手がかり無しとは。
烏原貯水池関連といえばまっさきに思いつくのは天王谷からの隧道ですが、それは少々南を走っていますしね。
神戸トンネルはほぼ真下ですが。
戦後の東山の空中写真のような明らかな遺構は写ってませんしねぇ…本当になんなんでしょうか。
レンガなどはなかったように思います。炭や焼け跡などもなかったと思います。
尾根上は一通りもれなく撮ったのでほぼありのままです(ちょっと寄りすぎですが)。
あとは鞍部から両側の谷筋を探索してみようかなと思います。
Tokiwaさんもぜひ訪れてみてください!その方が解決が早そうです(笑)
追伸です
多分石垣の家の手前の二軒一つは叔母の前の家で
もう一つは親戚の家と思います、石垣の家は母の知り合いに貸してました。
そこを回り込んだのでしたら、よく子供の頃広い場所があって木にロープをくぐって、ターザン遊びしてました
祖父は三宮のキョルイチ?南京町の下の方のビルにいたのですが、戦争で恐くて一家で湊山谷に越して来たと聞きました、畑を耕し椎茸を栽培してました
周りは親戚ばかりでした。
その近くはそんな人達ばかりだと思います
もしもっと奥にそういう施設があったのなら、
祖父はそんな所に行ったんだろうかと不思議です?
色々不思議がありますね(笑)
猪はやはり音が嫌いなので鈴が良いと姉が言ってます。
さすがに鍋は持ち運び出来ないですよね。
又謎が分かりましたらお願いします、兄にも聞いてみます
無理しないで気をつけて楽しんで下さい。
重ねて貴重なお話ありがとうございます。そうした事情であのあたりができていったのですね。
椎茸を栽培されていたという話は意外でした。てっきり竹炭などの類かと思っていた次第です。
子供たちが遊んでいたなんて、今の感じからは想像もつきません。
水害があったときとかは大丈夫だったのだろうか…とか。
不思議なことが本当にたくさんです。
お話の結果また楽しみにしていますね!
いえいえ全然写真見せて頂き楽しいですよ、猪は音が嫌いらしく山の人は鍋を叩いて歩くらしいですよ。
灘に住んでたから六甲山や布引とかも懐かしいですよ、本当に楽しみに見せて頂いてます。
足場も悪いでしょうから十分気をつけて山登り楽しんでください。
そう言っていただきありがとうございます!
猪はそうですか、火打ち石のようにして鳴らそうかしら…。
灘に住んでおられましたか。そちらにもちょくちょく行っていますので、
何かしらお気づきなどあれば、コメントいただけると幸いです。
今晩は、また行かれたんですね、初めの長い廃屋が多分わたしの家があった所です、2階建てだったんですが、叔母が焼けた後長い家を、建て住んでいたようです、
この前は雨上がりで、姉や主人に止められて行けませんでしたが、その建物近くまで息子に付いてきて欲しいとお願いしてます。
そこを離れてもう40年以上になりますが、上には色々あるんですね、育って走り回ってましたが
知らない事ばかりでした。
その近辺の事なら11才離れた兄が詳しいんですよ
それではお身体に気を付けて、また色々見せて頂きます、有り難うございました。
猪に気をつけて
淡路島にも最近出て来るんですよ。
あーちゃまさん こんばんは!
すみません、勝手にパシャパシャと…。ある程度節度を持って行くようにします。
行く際はくれぐれもお気をつけくださいね。
今回の出会った遺構は谷筋の最奥にあたると思います。お兄様が何かしらご存知であれば良いのですが。
イノシシの罠には気をつけようと思いますが、果たして反応できるかどうか…。
こちらも気をつけて行くようにします。
尾根を挟んで西側の話になりますが、権太大天神(ごんだゆういなり)のこともネットで色々見ることができました。
色々とあるもんですね。
今後ともよろしくお願いします。
MuscleTurtleさん、こんにちは。
同じ遺構をみても、こうも見方が違うものかと感心させられました。私は単純に「なんか不思議な廃墟があったわ」程度です(笑)
なかでも「聴測照射所」という、初めての言葉についググってしまいました。調べると、なるほどMuscleTurtleさんのおっしゃる通りの軍の施設に思えてきます。この遺構の南には三方に広がる支尾根があり、地形的にも神戸港(軍港)を見下ろす位置にあります。また、基準点や三角点は帝国陸軍が設置したもので、それらがここに集中しているのも何かの意味がありそうです。ここが兵舎とするならば、ひょっとしたら周辺に発電所や聴測照射所の痕跡がありそうですね。また、周辺探索に行ってみたいと思います。
kurokuwa65さん こんにちは!
空中写真を追加しておきました。素人考えですので多分見当違いだと思います。
そうしたものならその筋のマニアがすでに見つけているはずで、ネットにも情報が転がっていることだろうと思います。
でもなかなかの規模だと思いますので、地元の方なら何かしらご存知なのかも。
気になることがいくつかあったので、私もまた行ってみようと思います。
この鞍部をグーグルマップで拡大するとしっかりと構造物の表示があるので、やはり何らかの施設があったと思われます。それにしても、グーグル(ゼンリン)はどうやって調べるのでしょうか不思議です。ご参考までに。
おっしゃる通り、ありますね。
両側の谷も行ってみようかなぁと思っています。
ネットでちょこちょこ見ていると、あの辺りは色々とあるようで。
イノシシの罠もあるようなので、お互いに気をつけましょう!