2019年5月25日 土曜日。9:02起床。今日は探索の山行にする。4月6日に妻と歩いた住吉道、道中の本庄橋の下に「摂津名所大図絵」を参考に神戸市が作図した絵地図がある。そのなかに結弦羽岳の名称が見られた。
その4月の写真から。長峰山天狗塚(図中天狗岩)の北、1つ峰(山羊戸渡)を挟んで「弓弦羽岳」がある。そこより北側は山の形が反転しているので六甲山系の主稜線上にあるわけ。この図から判断して、すでにそれがどこかは大体あたりがつく…地理院地図で調べても三角点があるし。
ちなみにこの図、ネットで「摂津名所大図絵」で検索すれば同様のものがいくつかヒットする。
一方「弓弦羽岳」でネット検索すると大体「弓弦羽神社」関連がヒットする。というわけでまずは弓弦羽神社から辿っていくことにした。
阪急御影で下車し、南出口。ここから南東方向へ数分歩けばすぐに弓弦羽神社だ。
北西角からも入れるけど、南側鳥居から神社に入ることにする。ここは「市民の森」指定番号 第1号となっている。
鳥居を過ぎてすぐ左手、写真に収まりきらない巨大なムクノキ。推定樹齢は350年とのこと。案外若い。
なんだか可愛らしいタッチの手水の使い方説明板。
通常手水って龍神の口から水が出るパターンが多いけど、この神社では八咫烏(やたがらす)。しかもセンサーに反応して水がでるっていうなかなかメカチックなもの。
力石があった。力量を試すものらしい。試そうにもとても持ち上げられないな…。
さて、弓弦羽神社の縁起についてはWikipediaに任せるとして、さくっと引用すると
神功皇后の三韓征伐からの帰途、忍熊王が挙兵したことを知り、この地で弓矢・甲冑を納めて熊野大神に戦勝を祈願した。弓矢・甲冑を納めたということから、当社背後の山を「弓弦羽岳」「武庫山」(後に「六甲山」の字が宛てられた)と呼ぶようになった。
ということらしい。ほんまかいな…えらい昔の話だな。しかし古代宇宙飛行士説好きなMuscle。まんざらでもない。
背後の山とはいうものの、現在に至っては弓弦羽神社から北方はマンションなどができていて見通しが利かない。
ところで弓弦羽神社はその名称からフィギュアの羽生結弦ファンの聖地になっているとか。絵馬を見るとファンの方の願いが多いようだ。サッカー関連も多く見られる。
御影石のサッカーボール。神戸のサッカー選手も多く訪れているんですね。おっと、この神社巡りはたくさんの情報がネットにあるので、これ以上敢えて触れる必要もなさそう…。
神社を出て西へ進んで神戸市御影町石屋墓園。ここまでの北側は御影北小学校の増改築工事などがあって、なかなか見通しが利かなかった。ここから北北西を見ると左から摩耶山、長峰山があり、その奥に高いところが見えている。右手は天望尾根の稜線が続く。
石屋川の右岸を北へ進む。ここは石屋川公園で、徳川道の一部になっている。なんだか須磨のあたりを思わせる雰囲気。公園北側を出て阪急沿線を西へ進む。
なんだか曰く有りげな高羽川公園を通って1本南側の道を歩くことにした。
西へ進んでいくと「ボヌール六甲」という名前のマンションがあって、その南西角に自然石の道標。「こ連より 四十三丁 すくまや道」とあるようだ。「すく」とあるけど、時代が下れば「すぐ」、つまり「まっすぐ」ということ。
先ほどの道標がある通りを南へ下っていくとすぐに交番がある。同じく南西角に道標が見えている。
「左 有馬三田、右 住吉西宮」側面には「すくまや山」とある。今立っている位置からして、この道標が示す方向がおかしいことはわかるので、以前は別のところにあったことが伺われる。
伺われるものの…未だにこうして大事にその場所をキープしているのはなぜなんだ。ワコーレ ザ・六甲プレミアムというマンションの一角に御大層に残っている。しかしマンションの一階に交番があるっていうのも変わっているなぁ…。
マンションの向かいには「旧六甲小学校跡地」の石碑。
石碑から北側、神戸市営八幡住宅の公園の中には小学校の記念樹が残っている。
モスバーガーを過ぎて、阪急六甲に来た。踏切の南西に古い道標がある。「六甲山前辻ニ至ル 五五九八・三○メートル 兵庫縣土木課實測」。大阪毎日新聞社の社章が刻まれている。※ここまでの道標に関する参考サイトはこちら。
ついつい前置きが長くなってしまったけれど、今日の主目的は弓弦羽岳探索。いよいよ山へ向かう。市バス16系統で六甲ケーブル下まで移動。ここまで3.5kmの歩き。
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