先程の2号地までは良かったんだけども、その先は笹が茂る廃道。
4号地を過ぎる。この○号地ってなんなんだ?
やはり廃道化が進んでいる。しかし一応踏み跡の類は残っている。
小峰ヶ原砂防ダム付近に気になるものがあったので踏み跡を外れて下ってみたけど、単なる廃車だった。しかし、それはそれでなんで廃車がそんなところにあるんだっていう…。
砂防ダムを過ぎると足元には塩ビのパイプが見られだす。これは集落の給水用だったのだろうか。
廃道化しているのはどうやら一部のようで…いい感じの古い道が続いている。
時折右手を見るとこのように石垣が組まれている。なんだろう?
疑問に思い石垣の上に登ってみるものの…ほんの少しなにかしらの跡があるようにも見える程度。
道自体はきれいに続いているなぁ。かつての地図を見る限り登山道は右岸にあって、今は左岸を進んでいる。
再び気になる石垣地点があったので登ってみた。すると水路があった…なるほどね。
水路は続くけど何やら踏み跡が怪しくなってくる。怪しげな1.5mほどの穴もあったりする。
やがて打越山方面への道標に出会う。この手前で気になるものが見えたので一旦打越山方面への道に入り、すぐ左へ。
重機が入っていて、杉が伐採されていた。なんなんだろうか?そもそもその重機はどこから入ってきたのか不思議だ。
重機を見上げている足元、そこには石垣があって、こうして水路がある。水車は住吉川だけではなく支流の水も集めていたんだね。
道標のあった地点から北へ進むと踏み跡は木橋がかかる左下へ向かう。水路はそのまま水平に続いているので、その先を追ってみることにした。
水路を追って進んでみたものの、奥に砂防ダムが見えた地点ですっぱり切れて崖になっていた。もうこの水路に水が流れることはないんだね。水車小屋の衰退が先か、ダム建設が先なのか。木橋分岐まで戻る。
こんにちは。はじめまして。
一年以上前の記事にコメント失礼します。
住吉台に20年近く住んでいる者です。
水車小屋跡地の看板に1番近い、入口付近の小屋には恐らく15年くらい前まで、絵の先生が住んでおりました。
現在は火事で先生が亡くなってしまい、廃屋になっています。
その奥は、私が物心ついた時には既に廃屋・廃集落になっておりました。
石カフェは週末には開いている様です。
あの付近は昔から上質な御影石(墓石などの材料になる鉱石)が採れる、採石場で、石を採石し、加工する工場がチラホラあります。人も住んでいます、石カフェは7年くらい前に気づいたら出来ていました…
神戸市東灘区住吉山手3丁目4の巨大な空き地に関してですが、こちらも物心ついた時には既に廃屋でした。中は蔵がある大きな個人邸宅の様なのですが、門が開いた所も人の姿も見た事がありません。現在取り壊し作業が行われていて、初めてちらりと中を見る事が出来ましたが、荒れ果てて空き地というか林の様になっております…
とっても地元の記事なので思わずコメントしてしまいました。
水車小屋跡地や石切場の近くは住んでいる私も謎が多い地域です。
これから寒くなる季節ですが、お身体には気をつけてください。
長文でのコメント失礼致しました。
うどこ祭さん おはようございます!
なんと2000年代に住んでおられた方が。少々驚きです。
その奥あたりは昭和の遺物でしょうか。
石カフェは7年前と。HP見てみるといわゆるカフェではなく、アウトドアの活動をしているんですね。
神戸市東灘区住吉山手3丁目4はそんなに前から空き地と言うか、廃屋ですか。
周囲に比べても異様に大きいからなにか謂れがあるのかなぁ。
ちと調べてみようと思います。
それにしても地元の方からのこうしたコメントは嬉しい限りです。
ありがとうございます!
大変楽しいハイキングをありがとう!
この位置が果して有馬のどの位置に当たるのか知りたくて・・
大阪毎日新聞社建立の道標「住吉二到ル 12,413.00m」とありウキウキ。
12413.00m-9818.172m(90丁)=2594.828m
また、住吉から六甲山まで9Kmで、そこから818.172m北が、その位置かー。
この位置にどんな意味があったんだろう
有馬の境界か、品物の引き渡し場所か、それとも~楽しい推理のひと時でした。
こんにちはー はじめまして!
楽しみの一助になったのかどうか、うれしく思います。
こちらこそありがとうございます。
何かしらお気づきの点などありましたら、またお気軽にコメントいただけると幸いです!