2018年9月22日 土曜日。10:10起床。今日は先週気になった北黒五山の先の尾根と東お多福山南の谷に行ってみようと思う。まず登る尾根は「六甲北摂ハイカーの径」の付録図で「峻嶮又ヤブ等ニテ通過困難ナル小径」として点線で描かれている。現在は周辺に芦屋CCがあるわけで…果たしてどうなることやら。
11:55三ノ宮駅発の快速に乗り、12:05住吉駅前発のくるくるバスに乗ってエクセル東で降車(くるくるバスって名前が本当に可愛いな)。先週と同じく住吉台から先は貸切状態。運営はうまくいっているのだろうか。ずっと残っていてほしいと思う。
住吉道に入り、五助堰堤を越えて来た。五助池手前の橋が流されている。3名の男性が何やら作業中。写真右端のところに簡易な橋があるのでそれを使って住吉道の先へ進む。
右岸線の道標を過ぎて次の道標がある地点。ここを右に入って黒五谷方面へ一旦進む。5分ばかり歩くと峠に至る。そこから左=東に進路を取って北黒五山山頂へ向かう。
北黒五山の山頂は眺望はないだだっ広いエリア。もし樹々がなかったら北にはお多福山や最高峰などが見え、さぞかし好展望な場所だったと思う。さて、今日のお題「北黒五山から雨ヶ峠への尾根」を進むべく北東方向に下り気味に進む。
進むとすぐに芦屋CCのフェンスに阻まれる。阻まれるとは言っても実際は尾根伝いにフェンスがあるので、ゴルフ場の敷地を巻くように進んでいく。
足元にはこのような穴あきの管が転がっていた。排水管なのかな?見る人が見ればすぐにわかると思うんだけど、正直よくわからない。
ゴルフ場のそばなのでロストボールもたくさん転がっている。一応メットはかぶっているものの、今飛んできたら怖いな…。そんなことを思っているとイノシシが目の前を走り抜けていく。
芦屋CCの敷地の境にはフェンスとこうしたトタンの壁が張り巡らされている。尾根はどうやら敷地内を走っていて、今歩いているのは中途半端な斜面。
尾根に乗れば多少は楽だろうと思う。進んでいる斜面は棘やらなんやらで進むのに相当苦労する。
芦屋CCの敷地を示すフェンスが東へ曲がった先、尾根が敷地を離れ北へ向かう地点にNO3の石柱があった。前後のナンバーの石柱の所在などは知らない。
これまでとは打って変わって進みやすい尾根筋になった。ほんの少しだけど、踏み跡のようなものも見えた。痕跡は薄れてもかつてはそれなりに歩かれた道なんだろうなと思う。
「Muscle的に快適な道」を進んでいくとNO4の石柱があった。反対側には芦屋CCと掘ってある。
石柱のある地点からすぐ、雨ヶ峠南の坂道で登山道に合流した。芦屋CCの現在の敷地からは随分と北にあるけど、あの石柱はなんだったんだろう?
あぁしんどかった…第一のお題、確かに通過困難ナル小径に違いなかった。六甲山の昔の地図にはたくさん小径が描かれているけど、そのほとんどは「一旦とりあえず歩いてみました」的なものが多いんじゃないかと正直思う。だってわざわざ歩く意味も必然性も感じられない場合が多いから。まぁそれでも懲りずにこうして辿ってみるわけだけど。
雨ヶ峠から東お多福山方面へ進んだ先の笹原から西お多福山を望む。かつては西と東を合わせて「於多福山」と称したこともあるそうで(それは誤り)。どうして西と東に別れたかは知らないけれど、現在東お多福山と呼ばれるこの山には「シノキ山」や「花原ノ峰」という名前がある。
竹中靖一著「六甲」、P356より抜粋すると
シノキ山 東は蘆屋川に、西は住吉川に限られた草山で荒地山の北方にあり。東オタフク山と稱する者があるが誤である。南面は断層に依つて切られ、廣い草原をなして居る。其處を畑ノ場(又は三畦畑)と云ふ。シノキ山の標高は六九五・八米で、頂上の平な所を花原と呼び、從つてシノキ山全體を花原の峰と云ふ事がある。シノキ山北斜面を狸原と云ふ。畑ノ場から蘆屋川に出る谷の附近を下畑と呼ぶ。魚屋道が畑ノ場を過ぐる部分をセンゾクと云ひ、シノキの南面を登る道は七曲と大曲との二部分に分れる。魚屋道が花原を越える峠をシノキ山上げと呼ぶ。
シノキ山は漢字なら篠木山ってところだろうか?なぜ誤った名称がこうして定着してしまったのか、それも少々謎だ。
そんな話はさておき、今日のお題2つ目に向かうことにする。六甲_摩耶_再度山路圖でシノキ山の南の谷筋に「長谷(河原ヶ谷)」なる小径の名称が確認できる。現在谷の下流は芦屋CC内に入っているので、敷地の際(できるだけ下流)から上流へ向かって歩いてみたい。まずは写真右の松があるあたりから支尾根に入っていく。
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