新穂高から流れ込む中谷と徳川道の出合いにある石垣跡。現在の道からわずかに右手にある石垣。
徳川道石積みの説明板。「対岩の…」は「対岸」の誤記か?その対岸=左岸を見てみる。
木の根元あたりが石垣状に見える。かつてこの地点は左岸が徳川道だったようす。いつどうした理由で付け替えられたのだろうか…。とりあえず、移動してみた。
石階段などはないんだけど、やや幅広の部分が見える。この区間は45mほどとあるので進む。
左下に川を見ながら進むと道が途絶えていた。が、90°曲がってどうやら右奥に進むようす。
90°曲がって南すぐ。平坦な場所になんだか並んでいるような石がある。先で左に曲がる。
曲がった先にはさらに道の脇に並べられていたであろう石がまっすぐ並んでいた。さらに進む。
右手に支流の砂防ダムがあるあたりで道が途絶えてしまった。わすかな踏み跡っぽいのを辿って、左手の本流と支流が交わる地点の谷筋に下りていく。
ズリズリしながら下りると、対岸に「六甲山系グリーンベルト整備事業」の看板が見える地点。不可解な量の岩屑が見える。橋の土台でもあったのではないだろうか。
看板から少し下って振り返る。この地点には石畳が敷かれていて、それは徳川道石積みの説明板まで続いている。こうして改めて見るとやや新しいようにも見える。謎は尽きないなぁ。
進んですぐ木橋があって、渡った先は残骸がある。昔の木橋に使われていたものだろう。現在の木も随分朽ちてきている。
進んで右手を見ると何らかの遺構を匂わせる石積み。傍らに転がる湯飲み茶碗。なんなんだ一体…。モヤモヤしながら徳川道を進む。
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