13:56 尾根の取付き部分から道なりに進むと山腹道になり、やや踏み跡が不明瞭になる。左手の尾根に乗り換えすと境界杭があった。2人は手前から来た。尾根は右手。これまでとこれからの進路が杭の切れ目と同じ方向だ。
いきなりの急登。ザレ場で滑りやすい。しかしこれまでの面倒とも思える回り道を考えればこれも楽しい。このあとも、似たようなザレ場を登る。
思っていたよりも明るい尾根道で、かつ手応えもあってなかなか楽しいなと思う。
進むと茶色鉄塔。一息つきたいところだけど、一気に抜けてしまおう。
すぐに次の鉄塔。ここは土台がコンクリで固められている。これまでのザレ場を思えば崩れやすい地質なんだと思う。この地点、陰っている左手に三角点や石柱があった。正面奥へ進み左折するように踏み跡を進む。
進むと分岐。アラカルートさんにせよ、他の記録にせよ、坊主山西尾根と言えば奥から来る道になっている。またいつかその道も歩いてみようと思う。
踏み跡を辿っているつもりもロスト。破線道を確認しても少々変わった道の付き方になっている。どこで外したのか。またいつか確認せねば。
こんばんわ 返信ありがとうございます。
そうですね、滝跡が残りにくいのは、砂防工事の進んだ六甲山ではむずかしいのでしょうね…
そうでしたか…むかしの様子がとても気になりますね…
こういったことがあると開発前の六甲山を歩いてみたいという哀惜にかられます…
確かに地図で見てみるとそのとおりですね…私も更に考察していこうとおもいます。
今後の記事も楽しみにさせていただきます。
こんばんは!
コメントをいただいて、改めて思い出しました。
有馬にある鼓ヶ滝はかつては段瀑で阪神大水害で崩れて今の姿になったという話。
大きな石が積まれていて今はまるでダムのよう。
長峰山にある岩ヶ谷の最初の滝もダム工事で姿が消えました。
ダム工事はもとより水害で大きく滝が姿を変えてしまうことも往々にしてあるんでしょうね。
岩質がそもそも脆いという特性も影響しているのでしょう。
「開発前の六甲山を歩いてみたいという哀惜」…本当に。
かつての六甲の美しい谷や見晴らしの良い尾根に想いを馳せながら地道に山歩きを続けたいと思います。
太助さん 初めまして こんにちは。
滝の「跡」っていうのも不思議なものですね。滝というからには5m以上はありそうなもんです。水害などで滝がなくなるイメージもあまりないですし、なにかしらで形を変えて滝跡となってもそれなりのものが残りそう。
一王谷を歩いたときの印象では鶴甲南バス停の東辺りがいかにも滝がありそうな険しい雰囲気でした。現在では堰堤などがあって滝はありませんでしたが。
しかしどちらにせよ、赤滝なる滝は「滝ノ奥」よりさらに奥=北側。滝ノ前とかならわかるのですが。
図書館とかで(関連書籍でもあれば)また見てみようと思います。
こんにちは 初コメ失礼します。
いつも楽しみに拝見させていただいております。
字名の滝ノ奥のことですが、私も以前から気になっており色々調べていたのですが、最近こちらで公開していただいている六甲摩耶再度山路図を拝見させていただいたところ、現在の鶴甲2丁目のバス停のあたりに「赤滝跡」という記載を見つけました。
もしかするとそれが字名の起源なのではないのか?と考えているのですが…
それにしても、跡となっても地図上に載るような滝の姿とはどのようなものだったのでしょうか…気になります。
コメント失礼しました。