菊水・鍋蓋・再度

(更新日: 2019.07.8) , , , 7

Tenseien-Path 天清園道(湊山谷)・菊水山・城ヶ越・神戸アルプス・甑岩。

Tensei-en Path-天清園道その2


廃屋を過ぎると金形堰堤。岩形といい、金形といい、どういう経緯のネーミングだろう?谷の名前は獺谷というみたいだけど。※白地図には「瀬川」とあるけど「獺川」の間違いだと思う。よくあることだ。


進むとドラえもん標識で分岐。進むのは正面奥「兵庫消防署」の標識が見える方。右手には緑色の手摺りがある橋。橋を渡ってみる。


小高いところに一際大きな廃屋がある。これは相当な人数が生活していたと思われる。ここは谷筋になっていて、さらに東へ進み尾根に出るであろう道が続いていた。また今度。


橋から戻って廃屋を右下に見ながら進む。それにしてもひどい散らかり具合だ。少々滅入る…。


建物が残っている廃屋はこれで最後だ。廃屋の間を進む。入ってみようかと思うも、崩れそうで怯むし、そもそも入ってはいけないだろう。


廃屋を過ぎると左手に謎の穴。炭焼窯などにしては小さいし、こればかりは謎だった。さてここから先は道なき道といった感じ。


竹が谷筋を埋めている。竹炭の生産が行われていたのだろうか?謎だ。


谷の左手に建物はないけど、廃屋があった。これが廃屋最終地点と言っていいかも。サラサラ〜っと土が流れる音がする。注意しながら上に行ってみる。

HITACHIのHI-FREEZEという名の冷蔵庫が転がっていた。開けてみると蜘蛛が這い出してきた…。調べてみると1967年製。昭和42年。ということはやはり水害で捨てられた廃屋群だったのか…?

1 2

3

4 5 6 7

菊水山周辺についての下調べ。前のページ

地蔵谷についての下調べ。次のページ

コメント

  1. 最近古地図を手に入れ、生まれた地域に「天清園」記載がありましたが、、、果樹園?屋敷?何なのかわかりません。
    ご存じだったら教えてください。
    ちなみに廃墟は昭和年水害????昭和42年には同級生が住んでいました。

    • 地元民
    • 2018年 4月 26日

    こんばんわ。
    先週思い立って豊国稲荷の跡地を見に行ってきました。謎の4人組に出会いました。年齢は80前後位のおじいちゃんとおばあちゃん、50前後と40前後位の女性2人。神社マニアを装って話しかけてみると、なんと元この集落の住人の方々でした。

    「ここ住まんようなって20年も30年も経つけどたまに見にこんとなぁ」

    とおじいちゃんは言うてました。どうも定期的に来てるようです。

    「昔も帰りはこの神社で一息付いて帰ってたわ」

    とおばあちゃんは懐かしそうに言ってました。やはり昔は沢山人が住んでたそうですが、だんだん減って行ったそうです。
    もっと話聞きたかったんですが、あんまり聞くのも失礼なんで、お礼を言って先を登って行くのを見送りました。

    結局、自分の持ち家、持ち土地なんで定期的に見に来てるんではないかなと。で年齢的事情や経済的事情で、もっと便利なとこに引っ越したんじゃないかなと。というのが私の推測です。

    ですが偶然の出会いに驚きました。

    • 地元民さん おはようございます。

      貴重な地元の方の話ですね。てっきり災害的なものがあったかと思っていましたが、
      その話しぶりからそういう話でもなさそうですね。

      時代の流れだったんでしょうね。
      放棄もされていないということで…もう少し行きたいところもあるのですが
      あそこら辺を歩く時には注意します。

  2. 地元民さん こんにちは。

    住所としては烏原町4丁目などになると思うのですが、ネットでは特に情報が得られませんね。
    途中にある一際大きな廃屋がありますが、地図で見る限り、その谷筋の奥にも廃屋がありそうに思います。

    廃屋の数からして一帯で50人くらいは居たのではなかろうかと思いますが。どうなんでしょう。
    あまり触れないほうが良いものなのか、どうか。
    神戸新聞の過去記事(該当記事があるかどうかは知りませんが)をいつか見てみようと思います。

    • 地元民
    • 2017年 9月 28日

    お返事有難うございます。

    私も気になり、近辺に住む知人数名に聞いてみました。が道が奥まで続いてるのは知っててもだれもその先は知らないとのことでした。期待した元新聞配達員も全く知らず、配達も行ったことがないと言ってました。
    ただ一人60代の人が湊山温泉近くに引っ越してきた20年程前、豊国稲荷までなら行った事があると言ってました。
    その時豊国稲荷のそばに家は無かったか?と聞いてみましたが覚えていないとのことでした。

    私は86年中学卒ですが、その時までは同級生が住んでおり、その奥にも住人が居たはずなんですが、その後のことは結局何も判らずじまいでした。
    もう少し範囲を広げて聞いてみようと思います。

    • 地元民
    • 2017年 9月 16日

    懐かしく、また興味深く拝見させて頂きました。豊国稲荷のすぐそばの家に昔同級生が住んでいました。一度だけ行ったことがあります。
    その時郵便配達のバイクがさらに奥まで走って行くのを見かけました。同級生によると、まだ奥に人が住んでるとのことでした。
    その同級生の消息は中学卒業後は判りませんが、少なくとも80年代後半までは廃屋に住民が住んでいたと思います。

    • 地元民さん おはようございます!

      貴重な情報とお話ありがとうございます。
      こうして地元の方からのあまり表に出ないかつての話がやはり嬉しいです。
      私は「廃屋と言えば、もうそれはイコール水害だろう」くらいの認識でした。
      これは改めねば…。80年代後半ということは比較的最近ですね。私も中学生の時分です。
      ちょっとした集落に見えますので、なぜ捨てられてしまったのか少々謎は残りますが。

      平野の草谷あたりも同じような年代の廃屋のようなものもありましたし、
      ある一定のタイミングで何かしら起こったのかな、とこれまた想像しています。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

AND 絞り込み検索

  • カテゴリー

  • タグ

  • キーワード

神戸市境界石

  1. 神戸市境界石No.85 黒岩尾根から派生する尾根にて。どうや…
  2. 神戸市境界石No.116・98・97・96・95・94・92…
  3. 神戸市境界石No.48・49 高取山白川神社境内と安井茶屋 …
  4. 神戸市境界石No.57 林田区境界を歩く。高取山から獅子ヶ池…
  5. 神戸市境界石No.46 高取台中学校北側の高取高層配水場の脇…

ナレッジ記事

  1. 【神戸100年 写真集】明治以降の布引周辺の風景。
  2. 六甲堰堤と山田堰堤間のイノシシの死骸についての続報と対策につ…
  3. 市バス25系統停留所の名称について問い合わせる。だいりゅうじ…
  4. 山行記録のまとめ方。Google ストリートビューで360°…
  5. 神戸古今對照地圖で明治大正期の市郡界を把握する。

谷筋ピックアップ記事

  1. 北黒五山から雨ヶ峠へ。支尾根を下り長谷(河原ヶ谷)を登り返し…
  2. 布引谷をウロウロ。谷川橋からごく短い谷を登る。
  3. 摩耶東谷弥生滝から溯行。行者滝手前の支流右俣を経て参詣道。
  4. 見返り岩から丁字ヶ滝を経て丁字谷を登る。
  5. 高橋川水系 要玄寺川(中野村谷川)遡行。阪神深江から薬科大脇…
PAGE TOP