旧天上寺へ至る階段の途中、左手に入ると大杉がある。奥に柵があるんだけど、灘区に確認すると大杉の損傷が激しく無用な立入りを防ぐ目的らしく、立入禁止というわけではないとのこと。
五右衛門風呂跡。なかなか凝った装飾に驚く。往時は3000人も僧がいたとのことだけど、本当にそんなにいたのかどうか。
下から見上げる大杉。事前の調べでCAFE702のスタッフに話を聞いたところによると
「丑三つ参り旧跡」は摩耶の大杉で、幹に釘を打った跡があるんですよ。
とのことだった。約8mあるという幹周りを見てみるもののどうもわからない。
下から戻ってきて正面。予想でしかないけど、多分この崩れている部分に釘の跡がたくさんあったんじゃないだろうか。というわけで「丑三つ参り旧跡」はここということにておこう。
史跡公園の西側を探索。吊灯篭のようなものが転がっていた。この他、遺構に混ざってゴミなども散乱。史跡公園の整備は見える部分のみで進んでいるようだ。
史跡公園へ。ここには一本顕著な焼け落ちた木があるんだけど、その他にも天上寺焼失以降に枯れたと思われる木が2本あった。
三権現社跡から尾根コースに入る。Tokiwaさんもおっしゃるようにここはあまり詳しく見ていなかった。というわけで見ておく。
文政四年(1821年)と書かれていた石灯籠がひっくり返っていた。天上寺焼失後に破壊したのかどうか。周囲には茶色の瓦が多数転がる。ちなみに三社とは「日山権現、熊野権現、愛宕権現」の三社ということらしい。
八十八ヶ所窟の途中左手に「円心入道赤松公」の石碑が立っている。天上寺の方にお話を聞いたところによるとこの石碑あたりに弁天社があり、下にある滝から水を汲んでいたそうで、それを溜めておく池があったそう。それが「弁天池」に違いない。石碑の左奥には明瞭な踏み跡があってそこを辿っていく。以前歩いて行き着いた先で老婆谷中俣の源頭部に至った部分。
2人して怪しげな踏み跡を辿っていく。写真奥の地点でやや道幅が広がっている。
見落としていた円筒形の石が転がっていた。文字が刻まれていたけど判読不能。
さらに釘が打ってある板も転がっていた。何かしらここにあったんだろう。しかしこれといったものは見つからず戻ることにした。
最強タッグで 摩耶山彷徨でしたね。
これからも 楽しみです。
ありがとうございました。
摩耶山さん歩さん こんにちは!
摩耶山は六甲山系の中でも、楽しみ方が色々あって良いですね。
今後ともよろしくお願いします。