14:28 虹の駅で下車し、上野道の続きに入る。乗っていたのはMuscleと、2人連れの女性、単独の女性と少なめだった。
すぐに宝篋印塔がある地点に至る。天上寺のお坊さんの話によればここにはかつて大門があり、上野道と摩耶東谷から登ってくる道の関所的な場所だったらしい。そして門をくぐった先、参詣道としてはこの写真の正面左奥に続く水平道を辿り、青谷道と合流して山門下に至る道が主要な道だったとのこと。現在は写真に見える右奥に続く階段道になっている。
昭和51年1月30日未明の放火によってある意味捨てられ残された遺物のこの宝篋印塔。お坊さんの話では特に関知されておらず、またこうして放置したところを見るとさほど重要ではないようで「大事なものがあっても、誰か盗んでいるかも知れませんな」とのことだった。
伏鉢の部分。動かせるかなと思ったものの、固められていて動きそうになかった。ところで大門跡とは…山門とは別にそんな門があったのは知らなかった。
摩耶遺跡の案内板を見ると「このあたりで長峰に登ってくる摩耶東谷と青谷から登ってくる道が合流した」とある。ここでいう青谷からの道はいわゆる青谷東尾根のこと。
宝篋印塔がある地点から数メートル南の地点から東に伸びる谷筋を下ることにする。そこが摩耶東谷の参詣道なんだけど、数度歩いてみたものの、どこがかつての道だったのかはつかめていない。
すぐに植林された杉が見え始める。これを見るにつけやはり参詣道だっただろうと思える。杉の間を抜けて適当に下っていく。
足元に注意しながら下ると何やら人工的な岩があった。これは谷筋の上部にある受水槽らしき構造物の崩れた一部かな。比較的新しそうに見える。
石積みの谷止がある。写真でもわかるようにこの右岸に立派な水平道がある。話は逸れるけど摩耶東谷は大坂高等学校旅行部作製の「六甲山の地名と登路」には“立派な道”として示されている。
ちなみに谷筋の水平道は左岸にもあるし、こちら右岸にはこれを含めて3本ある。右岸線の中でもこれは一番谷筋よりでかつ一番広い。
立派なスダジイ(多分)を左に観ながら道を下っていく。あとから写真でこうして見てもしっかりした道に見える。
少し進むと「四九」、反対側に「山」と刻まれた杭がある。これは奥の院道あたりにも散見される杭。今一これの意味はわからない。
その周囲はこんな感じ。なんだか転がる石が縁石のように見える。奥のゴロッとした岩の先は以前歩いてみた。改めて見ると岩の先ではなく、手前左手に下っている道にみえた。
谷筋へ向けて下り始めるとすぐに何かしら方形の岩があった。苔を削り取ってみるものの、よく分からず。何かしらの土台のようだ。さてそのまま谷筋へ向けて下ると石積み堰堤に至る。
その左岸には特徴的な大木がある。根の張り方がはっきり見えて異様な雰囲気を醸し出す。さらに谷を下っていく。
すみませ、、ん
思わずコメント記入です。
余りに見慣れた景色をアップされていたので、、、
ついつい、、。
私の名前まで載せてくださりありがとうございました。
さん歩さん こんばんは〜
勝手にお名前出してしまって…引用までして…
先にお断りした方が良かったかも…
でも、ま!おゆるしください。
さん歩さんの記録はなんだかほんわか?な感じでいつも楽しく読ませていただいてます。
こんばんは。
最後のトラバースは東谷の岩棚から山寺尾根に行く道ですよね。
途中で尾根と山腹になって、これは山腹側ですね。
ここまでドアップの写真は初めてですが、ここを歩くのは結構勇気がいりそうです。
道幅がかなり狭く、高度感もありますからね。
僕は下から見に行って引き返して尾根道で登ったり、上から見に行って引き返したり、怖いくせに興味があって何度か見たことがあります。
もちろん通行は出来ませんが・・・。
改めて写真を見ると、ここを通れる人は凄いなと思います。
今年はこのブログを発見して、楽しませて頂きました。
本人にも会いましたし。
ありがとうございました。
来年も安全第一で、レポお願いします。
山歩きさん こんばんは!
最後のトラバース道、足元も緩く、獣道程度の幅ですし、
結構切れ込んでますので進んで歩く理由はないかもしれません。
以前下った時は尾根側をまっすぐ下りました。
今年もあとわずか。多分年内はあと1回か2回山に行きます。
どこかでまたお会いするでしょうね。来年もよろしくお願い致します。