石碑からすぐに「浅間が丘」の道標がある。「堂徳山から二本松」方面へ。
進んでいくと「浅万ヶ丘(錨山記念碑)道」の道標がある。昭和12年のもの。ここで「浅間」が「浅万」となっているのが少々謎だ。
DWを渡り山道に復帰。15名くらいのパーティに出くわし挨拶を交わしていく。
再びDWと交差して山道に入っていく。ここから再度山に続く道はもう何度歩いたかわからないくらい歩いている道。今更歩くのはどうだろうと思いつつもなにか発見があるかも知れないので、改めて歩くことにする。
ところで今年は毛虫が多いように思う(スマホではなかなかピントが合わず数十枚撮影)。
この道中トレイルランナーとすれ違う。あの人達の体力というか機動力というか…正直うらやましいなとつくづく思う。
以前テープが巻かれていた木の数々が伐採されていた。森林整備事業の賜物だろう、太い幹にしっかり陽が当たっている。
この道は妻と歩いたことが何度かあるけど、本当にカエデの新緑が美しい。六甲山系で「カエデの新緑部門第一位」じゃないだろうか。
しばらく進んで大龍寺の手前の広場に到着。修法ヶ原池まで行こうかと思うものの時間は16:00…頃合いなのでここで折り返すことにする。
猩々池の北側まで下ってきた。堰堤工事が終わったようで、敷地内に入れるようになっていた。猩々池の碑の説明板もある。
猩々池北側に新たにできた「再度谷堰堤」がこれ。
左岸には丸太階段が設置されている。なんだこれは?将来の堰堤見学用かな?というわけで階段を登って上流へ進んでみることにした。
堰堤から下った先に橋があるわけでもないし、道があるわけでもない。そして奥には古い治山ダムが見えている。ダムの奥は二俣だ。右俣は2015年に歩いた/a>ところ。
正直新しいこの新しいスリットダムはいらないんじゃないかと素人目には思えてしまう…。
そして猩々池。あらま「池の水ぜんぶ抜く」よろしく、すっかり干上がっている。どうしたわけだろう?
せっかくなので池の中を歩いて進む。足跡もいくつかあって、歩いている人がチラホラ…。
猩々池の現在がこれ。名物のウシガエルはどこへ行ったかな。
再度谷を下っていって十一丁あたり。このあたりは本谷でも賑わっていたであろう集落があった場所。写真は山ノ井茶屋周辺。※ここらあたりの過去と現在はTokiwaさんのページをご覧ください。
と!気になるものが目に入ったので近づいて見てみることにした。
気になったのがこれ。一角に公衆便所跡。中を見てみると小便器に汲み取り式の大便器。しかもそこそこにきれいだし、なんなら犬の写真のポスターも残っている。年代としてはどうだろう?…昭和50年代に見える。
さらに下って、稲荷茶屋の敷地には新たに「民泊 神戸一里山別邸」が出来ていた。神戸一里山倶楽部なるものもあるそうで一棟貸しが可能みたい。きれいな建物…あるところにはあるんだなぁ…。
諏訪神社下で本日のゴール。
今日はノリで谷を歩き始めて新しい発見があり、何度も歩いた道でも再発見があり。まだまだ知らないこと、見逃していることがたくさんあるなと実感させられた1日だった。もっと細かく気を配りながら歩いていこうと思う。
今日歩いた軌跡
いつも楽しく興味津々で拝見しています。またこの度は、私の本家の墓がある「追谷墓地」も探索されたとのことで嬉しく思い、コメントをさせていただきました。子供のころから「萬霊塔」は大きいなと思っていましたが、創建時は納骨所もあり「高さ44尺5寸 上屋の周囲23尺平方 遺骨1万を収容しあり」(手持ちの古絵葉書記載ママ)と最近知りました。しかし阪神大水害で倒壊流出、塔の部分が現在の形で残っているんですね。21区にある平坦地が本来の建立場所だったのかなと思ったりしています。ではこれからも様々な山歩き記録を楽しみにしております。
isorokuさん こんにちは!
正直墓地を本来のかたちではなく、こうして歩くのはどうなんだ…ですが。
納骨所はなかなかの大きさだったんですね。絵葉書は見たことがないのでまた探してみようと思います。
谷筋のど真ん中なので大雨後の被害も相当だったんだろうと想像します。
たしかに21区は微妙にスペースが残っているように見え、そこにあったかも知れませんね。
他の方々ももちろんですが、isorokuさんにも色々と教えていただきありがたく思います。
今後ともよろしくお願いします!