すぐに左岸へ渡る東谷橋がある。これは六甲_摩耶_再度山図にも示されている橋だ。
渡った先には意外にきれいな案内板があった。このあたりは「みどりの聖域」らしい。ここは聖域の端っこの方だけどね。
昭和の匂いがわずかに感じられるしっかりした生活道が残っている。
水車小屋というよりは普通に生活していた跡なんじゃないだろうか?
なんならやけに新しそうな犬小屋も転がっている。このあたりがかつて七輌場と呼ばれたあたりだろうかなぁ。
九十九折の道を登っていくと平坦な場所に出る。倒れている杭を見ると「兵庫県勤労山岳連盟 労山の森づくり」とあって、2006年に建てたもの。20年足らずでこの有様はどうなんだろうか…。
「故人のコナラに関する説明板」をすぎると明瞭な道になってきた。
こうして鉄のベンチがあることからそこそこに歩かれていたであろうことが伺われる。ネットで見る限りあまり最近は歩かれていないみたいね。
道の脇にはこうして水路が見られる。住吉川からは随分と上を歩いているのだけれど。
電柱もあったりする。そして水路にかかる橋。
おお!水車小屋跡を思わせる遺構が転がっている。製粉に使われたと思われる搗臼が数個。
やけに立派な橋も残っている。
2号地なるところへ。おそらくこのあたりが八輌場か。要するに水車が8つあった場所。電柱には五助ダムへの案内がある。
一角にきれいな挽臼が無造作に転がっていた。なんかもっとこう、整備されていても良いのではなかろうかと思ってしまう。
頃合いの石に乗って下流側を見る。小屋跡と思われる平坦な場所と手前には瓦などが散乱。
今乗っていた石をよく見てみると丸い。上臼だった。
ちょっと茂っていて道がわからなかったんだけど、よく見ると石垣があって、その手前を下っていくようだ。
石垣にはこのように水路が通されていた。ここは整備していただいて後世に語り継ぎたいところ。
こんにちは。はじめまして。
一年以上前の記事にコメント失礼します。
住吉台に20年近く住んでいる者です。
水車小屋跡地の看板に1番近い、入口付近の小屋には恐らく15年くらい前まで、絵の先生が住んでおりました。
現在は火事で先生が亡くなってしまい、廃屋になっています。
その奥は、私が物心ついた時には既に廃屋・廃集落になっておりました。
石カフェは週末には開いている様です。
あの付近は昔から上質な御影石(墓石などの材料になる鉱石)が採れる、採石場で、石を採石し、加工する工場がチラホラあります。人も住んでいます、石カフェは7年くらい前に気づいたら出来ていました…
神戸市東灘区住吉山手3丁目4の巨大な空き地に関してですが、こちらも物心ついた時には既に廃屋でした。中は蔵がある大きな個人邸宅の様なのですが、門が開いた所も人の姿も見た事がありません。現在取り壊し作業が行われていて、初めてちらりと中を見る事が出来ましたが、荒れ果てて空き地というか林の様になっております…
とっても地元の記事なので思わずコメントしてしまいました。
水車小屋跡地や石切場の近くは住んでいる私も謎が多い地域です。
これから寒くなる季節ですが、お身体には気をつけてください。
長文でのコメント失礼致しました。
うどこ祭さん おはようございます!
なんと2000年代に住んでおられた方が。少々驚きです。
その奥あたりは昭和の遺物でしょうか。
石カフェは7年前と。HP見てみるといわゆるカフェではなく、アウトドアの活動をしているんですね。
神戸市東灘区住吉山手3丁目4はそんなに前から空き地と言うか、廃屋ですか。
周囲に比べても異様に大きいからなにか謂れがあるのかなぁ。
ちと調べてみようと思います。
それにしても地元の方からのこうしたコメントは嬉しい限りです。
ありがとうございます!
大変楽しいハイキングをありがとう!
この位置が果して有馬のどの位置に当たるのか知りたくて・・
大阪毎日新聞社建立の道標「住吉二到ル 12,413.00m」とありウキウキ。
12413.00m-9818.172m(90丁)=2594.828m
また、住吉から六甲山まで9Kmで、そこから818.172m北が、その位置かー。
この位置にどんな意味があったんだろう
有馬の境界か、品物の引き渡し場所か、それとも~楽しい推理のひと時でした。
こんにちはー はじめまして!
楽しみの一助になったのかどうか、うれしく思います。
こちらこそありがとうございます。
何かしらお気づきの点などありましたら、またお気軽にコメントいただけると幸いです!