聚楽横丁の小路にはこうして鉄製のプレートが埋め込まれていて「B面の神戸です。新開地 新世紀」とある。にしてもこの「数字の18のような意匠」が何を象っているのか謎。
鉄製プレートの他にも黒御影石の銘板もある。脇に謎の箸が転がっているあたりが新開地クオリティー。ところでこれらのプレート「六ノ通」だけ、それを示すものがないようだ。なぜだろう。
「松竹坂」から四ノ通に入る。建物の下には五輪塔の頭のような、曰く有りげなものが放置されていたりする。
それぞれの横丁をくまなく見ながらかつて松竹座があった場所、A-TIME新開地店の北西角に来た。
ちなみにA-TIMEの南西角には「神戸松竹座跡」の説明板がある。Muscleが生まれた頃に閉館した。東の浅草・西の新開地と謳われた頃のにぎやかな新開地を楽しんでみたかった。
さて、足元を注視しながら福原町方面に進んでいく。
写真左手、商店街の方からから斜めに下る道路「みよし坂」と、右手、南北を走る楠筋(商店街東側の南北道路)が交わる地点。写真中央に何やら怪しい形が!
割れ目から草が生えているし、これはよく見てないとスルーしてしまいますね…。数年後には無くなってしまいそう。
よく見て、なぞったりしてみると「松」とある。大半が欠けてしまっているけれど、松竹の境界石に間違いない。ここがおそらく北東端。
楠筋を南下しながら歩いていく。日本伝道隊湊川伝道館の一角に怪しげな「御影石の何か」があるのみで、これといった収穫は無く…。
以前見ていた神戸新聞社の記事の中に「ビル裏側の路地には、昭和初期に松竹が敷地を取得した際に埋め込んだとされる「境界石」が数カ所、現存する。【道-松竹】と表記されているが、鮮明に見えるのは1カ所。ぜひ探してほしい」とあったけど、【道|松竹】の境界石を探してみた結果は4本(【道-松竹】の表記有)。プラスして【道-松竹】の表記が無いものが2本。
今日のお題は一旦終了したので、松竹小路など新開地の細い路地をプラプラする。それにしても新開地っていい雰囲気だなぁ。「夢階段」の下、小便禁止の案内も「其の筋の命により」なんだから。
帰る前に今一度新開地界隈を歩きまくったんだけど、狭いエリアに色々とあるもんだ。最後にかつての目抜き通り、川崎重工へ続く道を歩いてから帰路へ。
川崎重工の手前には謎の開渠や廃屋群、ハーバーランド方面へ向かうと横溝正史 生誕の地碑などがあり、まだまだ街中で知らないことがたくさんあるなと実感。しばらく暑い日が続きそうだし街中歩きも続けてみようと思う。
参考記事
神戸新聞社の記事
ファルコンさんの記事
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私の父も 新開地北でそだちました。
湊川温泉で遊び、聚楽館で映画をみたかな。
新世紀は 父は下戸なのでいってないでしょう。
聚楽館は昭和40年頃健在でした。
高校生の私はスケートをしましたよ。
101匹わんちゃん 大行進の映画を見たのも 聚楽館でした。
coolな谷筋の遡行 まってます。(⌒∇⌒)
まやさんさんぽサン こんにちは!
お父様、そうでしたか! 羨ましい…いいですね、にぎやかな頃。
今となっては東山界隈はまだ賑わいのある商店街が広がっていますが、道路を挟んで南側は
昼間から飲む打つの「THE おやじの街」って感じですねw それはそれで好きですけれども。
もし兵庫大仏が新開地近辺にあって、仲見世のような核があれば
まだまだ廃れなかったかもなぁと妄想しています。
coolな谷筋…いましばらく体づくりに励みつつ、楽そうなところから再開していくつもりです!
よろしくお願いします。
久しぶりの新規更新ですね!
普段こまめにチェックしていないので宮坂堰堤校正いただかなければきっと見逃していました
それにしても相変わらずこの手のテーマをきめ細かい意識で炎天下に神経張り詰めて探求される姿勢に脱帽です
新開地周辺は父母、両祖父母の育った街ですが境界石視点で歩いたことなどまったくなかったので新鮮な気持ちで拝読しました
ダイエットされてお山の方でも流石!そのルートがあったか!!と唸らせるパリエーションを期待しています
ご無沙汰しております。
新開地周辺は父母、両祖父母の育った街>まさに新開地が「東の浅草、西の新開地」と言われていた頃でしょうか。お写真なんかも残ってたりするんですかねぇ。
個人的に神戸市で一番好きなエリアなのでワクワクします。
ダイエット+足の痛みがマシになればぼちぼちと山も再開していこうと思っていますので、よろしくお願いします!