『INAKA』の「THE GOAT’S DIARY」を読んでいると、「Aden」という名前が繰り返し現れる。その場所がどこなのか、現在の地名からはもちろん見つけることができない。しかし、日記の道順を追えば、自ずとわかる。
『INAKA』に出てくる「Aden」
今回改めて確認した範囲で、最も早く「Aden」が登場するのは1914年1月5日の日記である。
『INAKA』Vol.1 p.25より一部抜粋
Cremation Valley—Futatabi—Aden—Yamada—Arima-michi to Arima.
再度、Aden、山田を経て、有馬へ行っている。また、1916年4月3日には、次の道順が記されている。『INAKA』Vol.4 p.70より一部抜粋
Futatabi—Aden—Daunt Ridge Crossing—20 Crossings—Rokkosan
こちらは再度からAdenを通り、分水嶺越を経てトゥエンティクロスへ抜けている。
これだけを見ても「Aden」の位置は現在の神戸市バス25系統「学習の森バス停」があるあたりに収束する。
また、Adenの名は音楽の演目にも登場する。『INAKA』Vol.13 p.66の『A NIGHT OUT』には、1914年3月24日、北野の裏山、城山での催しのプログラムが掲載されている。そこには、ハイカラ・ゴートによるバグパイプ独奏「The Barren Rocks of Aden」がある。日本では「アデンの荒地」という曲名で紹介されている、スコットランドのバグパイプ行進曲。
とても気になる名前「Aden」。
しかし『INAKA』には由来を説明するような記述は見当たらなかった。

BEYOND ADEN H. E. Daunt. phot. INAKA Vol.9
“そもそも”のAden
Aden(アデン)は、現在のイエメン南部、紅海の出入口に近いアデン湾に面した港町の名前である。ウィリアム・ペリー・フォッグ著『“Round the World.”: Letters From Japan, China, India, and Egypt』(1872年刊)には、次の一節がある。
Aden, the great halfway coaling station between the Mediterranean and India
「地中海とインドの間にある、大きな中継給炭地」。欧州からスエズ運河を抜け、紅海を南下し、石炭を補給してインド洋へ向かう途中の港。
欧州と日本を行き来していた神戸の外国人たちにとって、Adenは“おなじみの港”で、日本へ向かうときには「いよいよインド洋へ」、帰りには「ここから紅海を抜けて欧州へ」と、長旅のひとつの節目を感じる場所だったのかもしれない。
植林小屋と「Aden」を重ねてみる

KWS SKETCH MAP OF HILLS BEHIND KOBE 1913
そこで気になるのが、大正2年(1913年)7月1日発行の『THE KOBE WALKING SOCIETY’S SKETCH MAP OF HILLS BEHIND KOBE』(神戸市歴史公文書館にて撮影)に記された「Planters Huts」、植林作業者の小屋である。その位置は「Aden」の付近に重なる。※画像中央あたり

神戸市フォトアーカイブより 六甲山植林1 明治36年
この写真は、現在の森林整備事務所と再度公園駐車場の間のどこかから、再度山西側丘陵地をメインに撮っている。左奥に少し見えているのが再度山。
再度山周辺では、1902年に修法ヶ原で試験植栽が行われ、同年11月には植林のための地拵えが始まった。植林が始まってから、今回確認した最も早い「Aden」の通過記録、1914年1月5日までは約11~12年。ドーントらが歩いていた時代、この場所には「Planters Huts」と地図に記される、その小屋があったことになる。
小屋がいつ建てられたのかまではわからないが、それでも植林作業の拠点だった場所が、山を歩く彼らにとっても道中の目印となり、中継港の名を重ねるきっかけになったのではないか。そんな想像も浮かんでくる。
帆を張って「Aden」を通過する
「中継港」という見立てを考えていたところ、原文に気になる一文があった。1914年3月8日の日記である。
この日の一行は、ハンター谷から二本松を経て再度へ進み、その先で「Aden」を通過している。
『INAKA』Vol.1 p.31より一部抜粋
“Passed Aden with all sails set and a following wind.”
「帆をすべて張り、追い風を受けてAdenを通過した。」(『神戸背山登山の思い出』では「強い追い風に乗ってアデンを通過し」)
山道を歩いているはずの一行が、ここでは「帆船」になっている。港町Adenと同じ名前の場所を、帆を張って通り過ぎる。そしてドーント別荘へ、そこから天狗塚を経て杣谷へ下り、摩耶山へ登り返して熊内へ下る、結構ハードな全行程10時間半。しかもワンちゃん同行。
行きにも帰りにも通る「山の旅の中継港」。「Aden」という呼び名からは、彼らの山歩きの楽しみ方が見えてくるような気がする。



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