進んで道標。→さるのかけ橋とあるけど、本来は「猿のかずら橋(猿のかけ橋)」。←左奥へ進んでいく。
ちょっと進むと沢渡さんの石柱がある地点の分岐。右を進むと布引ダムの貯水池まで下れる。下ったところであまり意味は無い。かつての五本松堰堤の工事中の写真を見ると斜面に道があるように見えるんだけど、この道なのかなと思う。左奥に進む。堀切跡などを通過して…
東屋のところに石版。北野谷東尾根方面が消されている。ロープウェイの開通に伴い消されたのか。いつのタイミングでこうなったのか。なんと書いているのか。詳しい経緯は知らない。知りたい…。
追記:2018年8月5日の山行で解決した。
進んで滝山城跡の石碑がある。今日はお昼時ということもあって数人のパーティが休憩中。残念だけどスルーする。道なりに進んで…
←布引の滝方面から下ってきたかたち。→北野町4丁目・北野道方面へ進む。至るところは北野町4丁目ではなく1丁目だと思うんだけど、まあいっか。(写真の手前に進めば二本松に至る)
すぐの道脇には疑似切り株。何か書いてありそうなもんだけど、何も書いていない。謎だ。先に休憩ベンチがあってその先には急な階段。膝に負担がかからないように下る。
急な階段をくだって登り返し。東方にはグラスハウスを越して摩耶山が見える。最近行ってないなぁ。もうすぐ「まやビューライン」の年パスが切れてしまう。更新しようか迷っているところ。
進むと眼下に街並みが見える。右は天神谷東尾根。しかし道標に案内はない。左には北野町との案内がある。左に下っていく。
進むと平坦な場所があって、そこでハイキング道は左下に向かう。右に進む踏み跡もあって、進むと山麓電飾の裏手に着く。それがこれ。明るい内、しかも裏から見ても何が何やら。序盤の写真で見えた桜を探しに左手斜面を下ってみる。
これかな?九十九折に下るハイキング道から見上げても確認できるよう。これが下から見た桜だろうか。(あとから見返してみるとどうも違っていたみたい。もう少し南東に下った地点だったようす。下から見たらもっとギュッとした感じだったしね。あとから間違いに気付いてとても残念だ。)…この時点ではわかってないので多少満足気に下る。
下るとお気に入りのナイスビューポイント。山、街、海。まさに神戸といった感じ。ちゃんとしたカメラで撮って応募しようかな。しかしこの場所、やたらイノシシが出てくる気がする。
イノシシ柵や立派なクスノキ3本を通過して、北野背山散策路に合流して、港みはらし台。ここからの風景は街に近すぎてアレなんだけど、花火大会の穴場としてはオススメです。
北野背山散策路の終わりから異人館街に入る地点で右折。進むと天神東谷川沈砂池。山麓電飾に登りつける谷筋。もちろん今日は行かない。ここから下ると北野天満宮の裏手に出る。
元来ジャンクフード、ファストフード好きの私。ちょっと心惹かれる。しかし、2年くらいまえからジャンクフードはほとんど口にしていない。我慢我慢。後ろ髪を引かれる思いで通過。髪は大事。
風見鶏の館前を通って、萌黄の館(旧シャープ住宅)。汚れた格好でこの周辺を通り抜けるのは精神的に応える…。周囲からの浮きっぷりったらない。さて、ある程度予定通りの時間で山行を終えられた。一頓挫あったヒゲレーザー脱毛の予約時間が迫る。ヒゲレーザー脱毛のあとに稲荷茶屋に向かう。
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ご丁寧にもご返信いただき恐縮です。
白鶴美術館のお隣に(徳本寺)が御座います。
地元篤信者の求めに応じて、徳本上人が念仏道場を開いたのが、開寺の始まりではないだろうかと、勝手に推測いたしますが・・・
いまだ、訪ねた事がありません。
夜分遅くに返信すみません。
白鶴美術館のお隣にあるのですね。
コメントを頂くたびに行ってみたいところが増え感謝いたします。
街中も含めていつになったら完登しきれるのか。
気長にやっていこうと思います。
ぼくのコメントに間違いがあり、大変失礼致しました。お詫び申し上げます。
石仏には(南無妙法蓮華経)との刻ですが、徳本上人の唱える刻は(南無阿弥陀仏)と、6字ですから、これはぼくの早とちり・・・
昭和7年との刻ですが、確か(妙号岩)も昭和一桁の時代に近隣の信仰者によって刻されたと伝え聞いております。
ぼくが妙号岩を攀じ登った昭和35年ごろ,直下には神戸電鉄が走っており、懐かしい・・・現在は(石井ダム)が造られ、電鉄はトンネルの中。
六甲山系ではないのですが、徳本上人は、信州と深いつながりがあってか研究者によりますと,徳本峠との関連性をつなげております。
加筆修正ありがとうございます。
shiratoriさんは岩登りも随分されていたのですね。
そして、歴史にもお詳しい。
アルプスの方はこのGWに行っただけで、ほぼ行くことはないと思いますが、
徳本上人については調べてみようと思います。
「念仏石」おそらく、徳本上人(1758~1818)が全国各地を訪れ、石や岸壁に「南無阿弥陀仏」と刻んだ゜「妙号岩」或は「名号石」でしょうが、全てが、徳本上人の手によって刻んだのかは不明です。
六甲連山では゛「妙号岩」が有名ですが、刻んだのは別人らしい。
芦屋市を横切る西国街道沿い、宮川の西側にも徳本上人の「妙号石」が鎮座、旅行く人々が手を合わせたのでしょうか。
徳本上人は紀州生まれの「浄土宗」の高層で、当時、庶民の間に強く「念仏信仰」を広めた念仏僧で、将軍家に対しても強い発言権を持っていたそうです。
shiratoriさん
本当にお詳しいですね。教えていただいてばかりで恐縮です。
>芦屋市を横切る西国街道沿い、宮川の西側
ここには立ち寄ってみたいと思います。
昭和初期の石柱、感激ものですね!
以前から気になるルンゼだったので日曜早朝に寄ってみましたが柵を越えて下って渡渉…の方がハードル高いです、凄い、でももう行かれないのですか?
汗ばむ気候で注意していたのについ腕まくり,また毛虫の毒棘にやられてしまいました。
ヘビーな薮漕ぎはもう季節終い、Muscleさんも子供たちもご注意くださいね
いや、ほんとびっくりでした。まさかあんなところにあるなんて。
あのルンゼ、そもそも柵越がアレがナニですし、好ましくないかもですね。行ってしまってから言うのも何なんですが…。そういうわけで行くこともないかと思う次第です。
毛虫…一昨年みたいなことにならなければ良いのですが…。ブヨ、ヒルなど敵は多いですが、注意しながら今年も色々行ってみます。