道中2回ほど、東方に旧摩耶の大杉が樹間から見える。存在感の凄さよ。生きている姿を見たかったところ。
2級基準点婆谷No.2から南西にはすばらしい眺望。お気に入りのポイントの1つ。 角度を変えればもう少し西側までしっかり見える。今日は霞んでいるけど…。
名物の鉄塔まで来た。ここには狭い範囲で4本の鉄塔がある。これは中間の2本。東西南北に送電線が張られている稀有なポイント。進むと←摩耶山雷声寺→の旧摩耶道の交差点。「東山尾根を経て労災病院方面」に進む。
すぐに次の道標。→東山方面への道は枝が敷かれていて進入するのを防いでいるように見える。左奥へ進む。(青谷に下れる案内もしっかりある)進むと「中尾町」分岐。中尾町への下りは心細い道だ。正面奥へ進む。
振り返って1枚。レンガやコンクリートの遺構がある。これといった目ぼしいものはないようだ。さらに下る。
下ると九十六号石柱がある。ここまでは現在の区界と同じようだ。現在の区界はこの先西へ進み、亀ノ滝砂防堰堤付近に下る。尾根を無視してやや南に下る。
支尾根を下ると明治三十三年、九十七号石柱がある。現在の区界とは違い、やや南を走る支尾根が市境界だったようす。ここからさらに適当に下っていく。GPSを確認するとどうも想定している道とは違っている。以前間違って下ってしまった道だ。九十七号石柱まで登り返す。
神戸市役所、明治三十三年、九十七号石柱に戻ってきた。頭頂部には行き先(写真右上)を示す切れ目。さっきは切れ目が示さない右方向へ下ってしまった。さて、この写真でいうところの右上へ進む。九十七号から先は踏み跡が全くないただの斜面。大丈夫かしら…。道迷い覚悟(とは言え、もうすぐ青谷道だしと油断…)でとにかく下る。
道迷いかと思ったけど、方向は間違ってなかったもよう。九十八号石柱に出会う。うれしい。しかし切れ目で示される左…。これはやばい…記憶を辿るまでもなく何度も歩いた青谷道。先は間違いなく崖だ…。
覚悟を決めて(?)シルエットになっているラインをクライムダウンしてきた。本当にやばい部分は最終75度、4メートルほどの下り。垂れる枝がなかったら登り返すしかなかったなぁ。いい加減ロープを持ち歩かないといけないかも…。
最後の最後であんなことになるとは。危なかった。区界の石柱は九十八号までは確認できた。当然一番からあるんだろうし、末番は何番でどこにあるんだろう。明治33年…1990年…神戸市。宿題はつきない。平野谷東尾根に行かないと。
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