行者滝の上、露岩地帯の分岐から進んでいくとすぐに左の枝にトラ柄テープ、右上の岩に赤スプレー矢印がある地点に至る。一旦赤矢印の方へ進む。
すぐに大きめの岩があって、そこからは見晴らしがそこそこ良い。しばし休憩。このまま登ると山寺尾根まで出てしまうので、適当に谷方向に下っていく=先程のトラ柄テープが示す方向。進むと深谷第三砂防ダムがある。
ダムから下らず斜面をトラバースしてみる。またまた境界杭だ。本当によくあるなぁ。
すぐに立派な谷筋に阻まれる。あぁここか。良い感じなのでちょっとだけ寄り道してみる。進んだ先にはロープが垂れる大きな緩い壁が広がっていた。また今度。本流に戻ろう。
本流入り口の小滝を過ぎて、左岸に基礎のようなものがあった。これまでの道中も気になる石があればひっくり返したりして確認してきたけど、決定的=町石の類は見つからず。
手前で小滝を過ぎると二俣。本流は右で、摩耶東谷参詣道は左。左の谷筋にはすぐに5m弱の壁状の滝がある。ということからもここは中間尾根に道があったはずと予想。
壁状の滝と同じくらいの高さに至る。どうも人工的にしか見えない石組みが転がっている。
石組みとは別に皿状の遺構もある。ちょっと掘ってみたものの、案外深そう…時間も遅いのでまた今度。軽く埋めなおしておく。壁状の滝の上段にも小滝があり、それも右から越える。
谷を進むと右手に人工的に組まれたようなもの。その上には踏み跡もあるように見える。
さて谷を進むと石積谷止があり、右から越える。右手にはなかなか大きな根が露出した立派な木があった。(写真はどれもピンぼけ)。そして再び右手に石組みが。と、奥に壁が見えるので寄ってみることにする。
久しぶりにまともに合成できたgoogleストリートビュー。もう氷柱ができている。今年の冬は寒いっていうし。裏六甲が楽しみだ。
谷を詰めていくとゴミゴミしてくる。これは碍子ってやつだね。あと2つほど転がっていた。また小皿なども転がっている。
さらに谷止を越えて進むと送水管らしきものと受水槽的な構造物がある。これはどれもそこまで古くはなさそうだ。
結局大きな収穫もなく宝篋印塔の北側に出る。私的感覚として、宝篋印塔は大事なものであって、その上手に出るのは違和感…この左手、南側、宝篋印塔の下手に出るのが常道かと思う。それにしても、ここまでせめて町石があればなぁ。石垣も階段もそこまで古そうではなさそうなんだよなぁ。しつこい質なのであと数回は歩いてみようと思う。
峠茶屋跡でちょっと休んで上野道を下る。今日も遅い時間からのちょっとぶらり山行。収穫は0ではないものの、満足にはいたらず。途中の岩壁の支流はまた行ってみようと思う。
今日歩いた軌跡
2
MuscleTurtleさんの記録にある、皿状の遺構の下の滝下からすぐの所でした。沢心あたりの丁度『建』と書かれたプレートが付いた岩の近くに埋まってました。
お皿状の物がおっしゃる通り石灯籠の中台ならば、宝塔が流されていても不思議はありませんね。
文字は梵字なのか、ただの傷なのかは私の知識では判別できませんでした。宝塔は洗って右岸に立掛けてますので一度確認下さい。
それでは、失礼します(^^)
洗って…とはまた!
これはぜひ、今週末に行こうと思います。やはり埋まったものが他にもありそうですね。注意して歩かねば。
MuscleTurtleさん、こんばんは。
いつも山行の情報源として拝見しております。
今回、摩耶東谷参詣道と思われる沢筋を下っていて、石灯籠のてっぺんにある宝塔らしきものが沢の中に転がっているのを見つけました。
場所は、深谷第三砂防ダムから上流に進みロープのある小滝の手前。
なにやら文字のようなものが見られますが、判読は出来ませんでした。
参詣道の痕跡を探索されているMuscleTurtleさんの手助けになればと、メールした次第です。
(3/11付けのヤマレコに写真を乗せてます)
既に、お気づきであればその際は要らぬお節介とスルーして下さい。
それでは、またお邪魔しますね。
kurokuwaさん こんばんは!
早速ヤマレコ行きました!そして初コメも。
転がってたんですね。何度か通っているのに築かずでした。
ということはまだ見ぬ遺構がきっとあるはずだろうと思います。
文字は梵字の類でしょうか…。行ってみなければ。
気になったこと、見つけたことは大体書いているつもりなので
書いてなければ見つけてなかったと思っていただければ。
今後ともよろしくお願いします。
すっかり寒くなりました
会社勤めだと忘年会も山行き用体力の消耗につながるし年末は厳しいですね。
風邪もきちんと治してそしてなにより膝の慢性痛にも十分な永続対策を立ててください
ストック常用、ロープウェイやバス専の下山スタイルも考えようによっては登りのグレードを上げれますし
多くの熱心な読者の方々には貴重なノウハウになることでしょう
私が言うのもなんですが六甲摩耶関連ブログ全般で更新頻度が低調気味で寂しい限りです
ですが!MuscleTurtleさんにはまず体調、体力の復活を熱烈要望です
ルート情報交換などはそれから再開しましょうね
ブログも鮮やかにリニューアルしましたね、あいかわらず数多の山ブログとは一線を画すハイセンスな体裁で良い意味で場違い
最新山行情報をまず見たいせっかちな私には一手間増えたのかな‥
長峰大好きさん 寒いですね〜
まさに忘年会のお泊りで風邪をひいてしまったようで。油断しました。
膝はそのようなスタイルでなるべく負担軽減を考えております。
ビューライン正会員にならないと…。
確かにブックマークしている諸先輩方更新が滞っているものも。
しかしもう行ききって改めて書く必要がないと考えておられるのか。色々事情はあるのでしょうね。
私は書かない日もちょろっとでも行きたい質で。
最新情報がパッと見わかりづらいですか。なるべく改善図ります。
Muscleさん、こんばんは。
二週連続の摩耶東谷、お疲れ様でした。
私の方は二週連続山には入れず、ウズウズしていますが、
Muscleさんのレポで楽しまさせて頂いています。
人工的な石積み、古いコンクリート片・・・
道があったことは確かだと思うのですが、
なかなか決定的な参道の確証が出ませんね。
深谷第二~第四堰堤までは谷がS字カーブを描いているので、
摩耶東谷本谷から参詣道が西に入る地点も、検討の必要ありと思っていました。
また、深谷第三堰堤は平成になってから造られた堰堤なので、
なかった頃の谷の様子を想像していましたが、
今回探索された尾根が有力ですね。
宝篋印塔の解説版の写真でも、Muscleさんが書かれていた通り、
摩耶東谷の道は宝篋印塔の南側だったのではないかと思っています。
Tokiwaさん おはようございます。
仰られるようになかなか「これ!」というものが見当たらず。
谷もダムで寸断されていて、痕跡探しはより困難ですね。
今度は上から下って行くのもありかなと思っています。
また皿状を掘ってみようかと。
しかし歩いてみるにつけ「ほんまに参詣道だったんかいな!?」と思ってしまいます。