進むと、枝が敷き詰められており明らかに進入を拒んでいるようす。この道は歩かないほうが懸命。先の折り返し地点にも進入を拒む枝が多数ある。
執拗なまでのロープ。避けるべく斜面を進むことにする。ここに来たのは失敗だ。踏み跡を見る限り、結構歩いていたようすは伺えるんだけど、状況が変わったみたい。
少し先にあった石柱。ここが分岐点のようになっている。右から登ってきたんだけど、左にも道があって、そちらは歩いても良さそうな道になっていた。
なんやかんやあったけど、登って行くと平野谷東尾根に合流。借地期間を示す白い標識が立っている地点の南側。奥、北へ進む。
すぐにトラロープが張ってあった。現在通れなくなっているのかな?平野谷東尾根。そんなに問題はなさそうに思うんだけど、とりあえず進むことにする。
奥に1つの山のようなピークが見える地点。鞍部に下って登り返す。鞍部からザレ場を登って行く。この鞍部から南東へ伸びる谷はシューティングバレー。射的場道。なんの変哲もない谷だった。射的場があったのはどこだろう?
登り返した地点。この先ピークに向けてさらに登るんだけど、稲荷茶屋さんのアポイントがあるので折り返すように右後方へ進む。ここから少し先までは先週と同じ道。
手前小ピークから三方に尾根が派生しているんだけど、今回は真ん中の尾根を進む。出だしはやはり不明瞭。適当に下り始める。
アンテナが転がっていた。なんでこんなところにあるんだろう。集合アンテナは現在別のところにあったはず。予測しながらちゃんと下っていたつもりだったけど、踏み外しがあったのかやけに南に下っていた。北へトラバースしながら(やや斜面を滑り落ちながら)茶屋を目指す。
茶屋の敷地の南側に下りついた。どうもこの周辺は思っている通りに下れない。予定と全然違うし、斜面を下って服もシューズも汚れてしまった。お約束なのに常識のなさ甚だしいなと反省。本意としては稲荷茶屋周辺の状況をなるべく多く把握しておきたいからなんです。(マイナー道が好きな性分もあるけど…)ここには居宅が立つとのこと。神戸港地方の市街化調整区域だけど、もちろん問題ない形で進められている。ところで神戸港地方ウィキペディアの一部(明治13年(1880年)、字口一里山に堺の妙国寺から有志が妙見堂を移転、更に舜如院も移転、日蓮宗妙見寺舜如院と改称。)を見て思ったんだけど、布引谷ルンゼで出会った念仏碑はこれかな。新神戸駅くぐってすぐの石柱もこれのことを言っていたのかな?いや、違うかも…。これをきっかけにもう少し深く調べておこう。
先客がおられたのでテラスでコーヒーをいただきしばし待つ。しばらくお待ちして、打ち合わせを始める。色々お伺い、やりとりをして、最後にまかないを頂いた。ありがとうございます。ごちそうさまして茶屋をあとにする。
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