左俣本流の左手に尾根の末端がある。ここを登る。
適当に進むとすぐに崩れた階段があり、その上は平坦になっている。
なんでこんなところにこんなモノがあるんだろう。五層の燈籠。智慧光佛、不断光佛、難思光佛と掘られている。瓦の残骸もあり、かつては浄土真宗のお堂でもあったのかな。謎。さらに上へ進む。
毘沙門天と龙天帝禅?と掘られた石があった。ここにはかつて何があったのだろうか…。
足元には「四天王」云々と掘られた岩が転がっていた。
平坦な場所の下に回り込んでみる。しっかりした土台の石垣があった。ここは一体なんなのだろう。経緯をご存知の方いらっしゃれば教えていただけると幸いです。ここを訪れるのは2回目なんだけど、やはり謎。さて、尾根筋へ向けて斜上する。
尾根筋に乗る。随分明瞭な細尾根。登って行く。
尾根筋にはいくつか石柱が埋まっている。以前来たときは道筋を示す石柱と思ったんだけど、よく見ると土地の境界を示す石柱のようだ。
それはこれを見てわかった。十字の切れ込みと名字が書かれている石柱。十字が道筋を示すわけはないし、名字が刻まれるわけはない。
進んで足元を見ると人工物の残骸。何かしらのレリーフのよう。
進むと藪。藪の中にも名字が書かれた石柱がひっそりと埋められていた。そして…
さきほどとはまた違う、残骸があった。若葉模様のような感じ。この周辺にも何かしらあったのだろうか。
藪を抜けると中山手支線四の鉄塔のところで三森谷の尾根に合流。
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