谷止を越え、コンクリ治山ダムを越えた先でやや緩やかな展開になる。蛇行する谷筋を登っていく。
さらに石積みの谷止を越えると伐採された木々が整然と並べられていた。奥の谷止を越えると小滝がある。
最初、谷止かなっと思ったら垂壁の小滝。5mほど。
滝右の階段状を登ろうと思うも具合が悪い。手前右の段々を登って巻くことにした。
ここから谷止ラッシュが始まる。正直数えていられない。
六甲山系でこの標高で床固めなのはここくらいでは?連続する谷止の右岸を登っていく。数えるのは諦めた。
謎の植物調査エリアを通過していく。
床固めの谷筋が二手に別れてしまう。とりあえず中間を進むことにした。
右俣の最終地点には「昭和十三年災害 竣工記念」の碑があった。おそらくここまで執拗な谷止はそのときに造られたものなんだろう。
さて、左俣。ゴミが散乱している。扇状に広がった谷筋を詰めていく。
石垣を最後に谷筋は消えた。マヤカンの真下だ。セコムが敷かれているし立ち入りは禁物。マヤカンの建物の整備は良いとして、このゴミはどうやって回収するんだろう?放置しておくのかどうか。さて、長居は無用。東へ伸びる尾根を下っていく。
下り道途中。巡視路と思われる道があった。右手に下る。九十九折に下っていくとやがて明瞭な尾根筋になる。
少し下ると「正一位稲荷大明神」の碑がある。鉄塔を通過してどんどん下る。
南灘連絡線九鉄塔を過ぎると永峰堰堤(長峰堰堤)が見えてくる。杣谷道に合流し、堰堤下へ。ここの水場で汚れを落としておく。
住宅街の坂道を抜けて中島橋まで戻ってきた。護国神社前からバスに乗って帰途につく。
貧乏川の由来については諸説さるようだけど、こちらを参照されるのが面白いかと思います。
2年前の溯行記録はこちら。貧乏川ゴルジュと小滝はなかなかやっかい。
今日歩いた軌跡
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