地蔵谷に入るとすぐにこのような階段がお出迎え。この石階段を支えるL字アングルを覚えておきたい。
地蔵谷堰堤左岸に来た。Muscleが見ているブログの中にはこの石階段が堰堤工事のものと紹介されているものもあるけれど、ここから写真奥、天狗道に至る道(廃道)にも同様の石階段は続いている。
ビクトリヤ谷分岐を見送ると特徴的な道になる。この縁石も覚えておきたい。
なぜこのように谷道が整備されているのか。Muscleがこれまで歩いた六甲山中でも、ここまで整備されているのはあまり見たことがない。徳川道とどっちが上だろうか…というくらい。
最初の渡渉地点。地蔵谷の堰堤群ができる前の道を知りたいと少々思ったりする。
登山用道路看板。これもなかなかお目にかかれない看板だ。これもヒントだと思っている。
それにしても終始こうして石階段が整備されているんだよなぁ。これは地蔵谷第二堰堤の巻道だ。
そしてこの地蔵谷道にはやや古めの道標であったり、こうした「自然を大切に」「火の用心」がある。これもヒントだろうなぁと。
谷道を進んでいくと右手に脇道っぽい下りの石階段がある(写真ではややわかりづからいか…)。
振り返って写真を撮ると明瞭なことがわかる。これがかつての道なのかどうかは不明だけれど、その下ったところから少し上流に進むと…
本谷一番の大滝がある。まぁ呼び名は色々あるだろうけれど「地蔵大滝」ってことでいいだろう。先程の階段はこの滝を見に来るために作られたようにも思えるなぁ。
右岸の壁を登って地蔵谷道に復帰することにする。目指す地点は目と鼻の先。
Muscleさん、こんにちは。
いつも精力的な記事を楽しみに拝見しております。
地蔵谷の遺構は、私も以前行った際穴凹が気になった記憶があり、なるほどと記事を読まさせて頂きました。
それから、看板は危険の「危」と読めますがいかがでしょう?
ひし形に設置されていたものと思います。
kurokuwa65さん こんにちは!
kurokuwa65さんの楽しい山行、うらやましく思っています!
そういえば危険の「危」ですね!! 斜めか…そうですね! 真四角のときは斜めを疑え!を肝に命じます(笑)
MuscleTurtleさん、おはようございます。
興味深々で記事を拝見しました。
まずは市ヶ原集落。
世継山の土砂崩れは、山頂へ向かって谷止工が続いてる部分ですから、
北側エリアはしっかり住宅が残ってるんですね。
山歩きを始めた頃、市ヶ原から天狗道に向かう坂からこのエリアが見えて、
MuscleTurtleさんが見つけられた現役の耕作地と
その付近から草でも燃やしているのか、
煙が上がっているのを何度か見たことがあります。
住人がいる可能性もあったので、アンタッチャブルなエリアになっていました。
詳細が判って、少しすっきりしました。
古いタイプのフェンスですが、
市ヶ原からハーブ園東尾根に抜ける道にも同じものがあります。
確証はありませんが、ゴルフ場敷地境界のフェンスかも知れません。
次に地蔵谷。
平硝子は見つけたのですが、タイルがありましたか。
六甲砂防史などでは、どの堰堤も飯場に関する情報は掲載されておらず、
詳細は不明ですが、やはり飯場であった可能性が高いですね。
最後に学校林道のコンクリート基礎ですが、
これも確証はありませんが、写真のコンリートの雰囲気から
おそらく東山砲台(三七一高地 高射砲陣地)
関連のものではないかと推測します。
戦後すぐの航空写真でも、4本鉄塔辺りに、
人工的な平地が確認できます。
軍関連の建物があったのではないか思います。
Tokiwaさん こんにちは!
市ヶ原集落は前回の山行で小ピークがやけに気になってしまい…結果集落探索だけで小ピークも登ればよかったと思います。
あの集落の重要ポイントとして、縦走路の水場でもあった涸れた井戸と、茶屋跡(現在の転回場)、登山会広場のお地蔵さんなどがありますが、
あのピークにも何かあるのでは?と睨んでいます。
それにしても、現在もいらっしゃるのか…どうなのか。
あまり立ち入るのもあれですが、いずれにせよ現在は神戸市の土地と思われるフェンス外の通路で、”普通に歩けば”ですが「個人の敷地内を通る」という展開にはならないかと思います。
例のフェンス、そういえばありますね! すっかり忘れてました。
地蔵谷の遺構、基礎の上に積もった土を少し取り除いてみたものの、限界を感じ途中やめ。
やはりそのように感じました。
そもそもですが、地蔵谷の由来もとても気になっているところです。
昔の航空写真との比較は本当に面白いですね。今はない道があったり。
学校林道周辺はあまり見ていないのでまた見てみようと思います。
今回も色々教えていただいてありがとうございます!