摩耶

(更新日: 2023.09.20) , , , , 5

天上寺のヤマボウシを見に行く。摩耶東谷(旧道)の山腹道探索から上流最終右俣を詰めて山寺尾根に抜け、掬星台から天上寺。


掬星台まで0.3km道標。ここからしんどい階段道が続く。


掬星台下はコアジサイの回廊になっていた。


コアジサイが好きなMuscle。鼻を寄せると優しい香りがする。薄紫や白色の花が良い感じ。


掬星台にて。ご飯をあげている女性に聞くと、この白いネコはここに捨てられたみたい…う〜ん。しかしみんな丸々としているね。右の子は14歳になるんだとか。


今日の目的の天上寺のヤマボウシ。お寺の方に聞いてみると八分咲きらしい。写真を撮る位置を間違えている感は否めない。撮るなら上からだろうね。


改めてこうして見るのは初めて。1回くらい雪が積もったように見える時に来てみたい。


天上寺から西方、出だしはやや霞んでいた空気もきれいになってきている。淡路島が神々しく映る。


旧天上寺下から青谷道を下り、途中から旧摩耶道、そして上田道を経由して青谷道へ。今年のヤマボウシもなんだか微妙だった。また来年トライしようかな。摩耶東谷の探索はもうそろそろ諦めようかと思う。

今日歩いた軌跡

1 2 3

4

弓弦羽岳はどこなのか?弓弦羽神社から前ヶ辻谷西道(仮称)を経て三国岩から802.5mP三角点 三石岩。前のページ

2019年 神戸市水道局主催「水源探訪バスツアー」に参加する。次のページ

コメント

  1. MuscleTurtleさん、おはようございます。

    町石、確かに堰堤堆積物の下だと発見は困難ですね。

    古い文献を読んでいると、摩耶山(天上寺)の力は
    やはり強大で、同じく「灘・神戸地方史の研究」に、

    ~以下引用~
    灘区や、東灘区の旧本山村地方では、現在宗旨は変わっていても、
    かつては摩耶山天上寺の末寺の寺院や祠堂がすくなくなく、
    また末寺あるいは寺領の跡だといわれる字名が残っている
    (中略)
    明治中期まではこの地方の旧家の仏事やあるいはお当講などに、
    宗旨には関係なく供養として招かれていることも多い。
    明治初年、塔頭明王院が岡本へ移転したのも、
    そのような関係からであろうか。
    ~ここまで~

    とありますので、市街地の随所に摩耶山を示す
    道標があるのは、理解できる気がします。
    その道標の示す道が山麓でどこに集約していたかまでは、
    今のところ、これといった記述は見つかりませんね。

    明王院については、以前に「不動山」の時に
    コメントさせて頂きましたが、
    摩耶山の塔頭であったという出典もこの文献です。

    同文献には、以前MuscleTurtleさんが言及されていた
    宝篋印塔付近とあったと思われる古大門に関しても、
    江戸時代初期の文献に、仁王門の南に、
    古大門と屋敷があったと、文字による略図が記載されています。

    • Tokiwaさん こんばんは!

      なるほど、そういう下地があって現在も点在しているわけですね。
      手元には「神戸の道標」という本がありますので、いずれまとめてみたいと思います。
      町石がある上野と青谷はさておき、旧摩耶道と摩耶東谷についてはもう少し詰めてみたいところです。
      旧摩耶道は色々と整備されてきた話は以前お聞きしましたが、どうにも現在のあの道の細さがきになります。
      摩耶東谷に至ってはいうまでもなくあんな感じですし。
      二俣から左へ入ってすぐの滝、あれはたしか水害後に現れたと
      たしか「六甲の谷と尾根」に記述があったように思いますが、西へ向かい始めるところから宝篋印塔まで
      かつてはどんな道筋だったのか。やはり諦めずにあと何回かは歩いてみようと思います。

    • 追伸:昭和3年の木下東作 著「六甲山」P31に摩耶道=摩耶ケーブル終點(靑谷より)ー摩耶山ー三國岩ー六甲園事務所(約二里強)とありますね。
      大正13年の近畿登山研究会 編「近畿の登山」にも摩耶山本道、あるいは摩耶本道(堂)とあって、どちらも靑谷となっていますね。上野道もその他の摩耶山本道として挙げられていますが。
      どの時からか、そちらが青谷が摩耶道のメインとなって、もとの摩耶道は「旧摩耶道」として廃れていったのでしょうか。

  2. MuscleTurtleさん、こんばんは。
    旧参詣道探索お疲れ様でした、やはり何も出ませんね。

    私も今日、天上寺に行きましたが、入れ違いでしたね。

    「灘・神戸地方史の研究」に、
    摩耶ケーブル下駅にある町石について以下の記述があります。

    ~以下引用~
    町石には町数と年号はあるが、施主の名がない。
    中世後期、都賀庄などを含む灘衆は、いちはやく自治組織をもち、
    「惣」という結衆がみられたが、
    あるいはその「惣」の力で建てられたものではないだろうか。
    現在はこれ一基だが、古老の話では旧参道にも一、二本残っていたという。
    ~ここまで~

    気になるのは最後の部分ですね。「旧参道」が旧参詣道を指すなら、
    どこかにまだ町石が眠っているかも知れません。
    おそらくは、度重なる水害で、深い地中だと思いますが。。。
    宝珠が見つかるなら、町石も可能性はあるかもと思っています。
    どこかに埋もれているなら、逆に豪雨の後がねらい目かも知れませんね。

    • Tokiwaさん こんばんは!

      灘・神戸地方史の研究、これは知りませんでした。また図書館で見てみます。
      ここ最近気になっているのが、市街地の道標がいう「まやみち」「まや山道」などがどれを指すのかっていうことです。
      旧摩耶道は、今も残る名前ですが、いったいどれを指すのか。六甲方面(住吉とか魚崎方面など)からは摩耶東谷なのか、上野道なのか。
      魚屋、唐櫃、有馬、住吉などなど、「神戸市の道標」にある古道はわかりますが…。
      その他、上谷上から摩耶へ至る主要道なども気になっているところです。

      埋まっているという部分、第二堰堤のあの大きな堆砂地の深い部分に埋まっていたらお手上げですね。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

AND 絞り込み検索

  • カテゴリー

  • タグ

  • キーワード

神戸市境界石

  1. 神戸市境界石No.82・87・96・97・98 黒岩尾根から…
  2. 神戸市境界石No.78 再度山山頂の北側にて。蛇ヶ谷右岸から…
  3. 神戸市境界石No.59 獅子ヶ池東244.9mP付近にて。高…
  4. 神戸市境界石No.72・75・77 平野谷西尾根から極楽谷経…
  5. 神戸市境界石No.73・74 七三峠から極楽谷周辺。三森谷か…

ナレッジ記事

  1. 記録に残したかった「十王山光明寺 閻魔堂」。
  2. 端折っていた写真も別の形で載せたい。Smart Slider…
  3. 埋もれゆく美しい杣谷周辺の情景。過去と現在と。
  4. 神戸市文書館企画展「近代神戸の開かれた六甲山」に行ってみる。…
  5. 【神戸100年 写真集】明治以降の山本通周辺の風景。

谷筋ピックアップ記事

  1. 寒谷1基目の治山ダム左岸支流から608P。寒谷北尾根を下って…
  2. 【KOBE HILL MAP】徳本上人妙号岩 探訪。苅藻川遡…
  3. 日没岩から日没東谷溯行。三国池から三国岩経由でアイスロードを…
  4. 葺合町古輪谷から旧摩耶道を経て山門ノ谷へ。その後配水管の続き…
  5. 奥山精道線カーブNo.10から破線道の谷を行く。ゴロゴロ岳か…
PAGE TOP