下っていくとやや踏み跡が不明瞭になって、溝状を下る地点に至る(その先を歩いたときの記録はコチラ)。ここから右手の斜面へ移動して240.5mPへ向かう。
石柱でもありやしないかと思ったものの、トップには松があるのみで周辺に石柱の類は見当たらない。このあとは南東方向へ下っていくことにした。
灌木と棘の植物にえっちらおっちらしながら進むとパッと開けた地点に至った。遠くに金剛山が見えて少々和むものの…この先はシダの藪だった。シダは足元があまり見えないので嫌い。あぁ本当にしんどいなぁ…バイザー付きのメットを持ってこなかったのは失敗だった…。
どうにか尾根筋を下っていくと長田区一里山町7の上。木の下は小さな崖状なので北へ少しトラバースする。
どうにかこうにか一般的な道に飛び出した(私道かな?)。
さて、ここは住所でいうと長田区一里山町7。かつての林田区には獅子ヶ池が含まれていたものの、現在は須磨区になっている。
一方獅子ヶ池のすぐ東側(長田区側)は「獅子ヶ池を美しくする会の」活動地域になっていて、池の調査をしている長田高校も含め、池関連の活動はもっぱら長田区が担当しているみたい。このエリアは少々ややこしい地理関係のようだ。もう少し掘り下げて探索してみたいと思う。なんせここは境界石銀座だしね。
須磨の歴史散歩・須磨区役所発行より※「神戸・昼から散歩さん」より引用
源平盛衰記巻36の「清章(きよのり)鹿を射る、並びに義経鵯越に赴く」によると、
三草山で平氏を破った源氏は、このあたりの山手で陣を張っていた平教経(能登守)と通盛に迫っていた。2月6日の夜(一ノ谷の戦いは7日である:旧暦)能登守の陣に山から3匹の鹿が飛び出してきた。能登守はこれを源氏が近くに迫っていると理解したが、今は敵の気配がなかったので、「我と思はん者はあますな(討ちもらすな)」と言ったところ、高市武者所清章が2匹を射止めた。しかし「軍場にて鹿食事はばかりあり、その上稲村明神(高取神社のことか?)とて程近く御座(おはしまし)ければ、松の二、三本有りける本に棄置きけり、それよりしてこそそこを鹿(かのしし)松村とぞ名付けれ。」とある。色々ネットで調べた結果、昔は鹿の肉のことを「鹿(か)の肉(しし)」と呼んでいたらしいのだ。現在もこのあたりに鹿松町(今は、しかまつちょう)がある。そしてししが池の名はこの「かのしし」の「しし」から来ているという、りっぱな由緒があるのだ。看板には獅子ヶ池とあるが、それでわざと「ししが池」とした
今日歩いた軌跡
ようやくブログを再開。みなさま今後もよろしくお願いします!
こんにちは。
レポートにある弓道場跡というのはどのあたりにあるのでしょうか?
おじいさん方から、その存在を聞いてはいたのですが、
今回はじめてネットでヒットしたもので、
一度行ってみたいのです。
JOEさん はじめまして。こんにちは。
高取山弓道会の跡地ですが、高取山の登山道の脇、ちょっと上にあります。
下からは見えない位置になると思います。
別の日に訪れた写真はこちらから↓
https://muscleturtle.jp/2017/01/21/hayasidaku/3/
場所についてはさくっとgoogleマップに書き込んでみました。
ご参照ください。くれぐれもご安全に!
https://muscleturtle.jp/wp-content/uploads/2020/09/20200915_takatori.jpg
Muscle Turtleさんこんにちは。
まずはお詫びからです、ごめんなさい。
間違っていたのは多分場所の方です。58号を見つけたあとで獅子ヶ池にある案内板を見て勝手に244.9ピークだと思い込んでいました。まともな地図も持たずルーファイもいいかげんな街歩き人間がちょっと格好つけすぎてしまった結果です。本当に申訳ありませんでした。
という訳で58号の場所、いつものベタな案内でやり直します。場所は57号に立って天辺の切れこみの指示す方向、鉄塔の右に見える山のてっぺんにあります。58号からですと57号の場所をまともに見下ろすことが出来ます。これほどお互いの位置を視認しあえる境界石は初めてではないでしょうか。これって59号と別の場所ですよね?
話は変わって59号の切れこみが南東方向だとか。するとこの前お送りした「神戸市全図」の獅子ヶ池の東側への境界の食込みと一致するのかもしれませんね。ちなみにあの地図はかなり前にコピーしたものですっかり存在を忘れていたものです。たしか「神戸古今対照地図」に似た地図を見つけたのでコピーしたと思うのですがどの本で見つけたのかも覚えていません。58号を見つけた後に山に関する資料の整理をしていて出てきたのでなんか不思議な感じです。
それにしてもあの金属プレート、付けた方に聞いたら他の境界石もすぐにわかるのかな?
街歩き人さん おはようございます!
お詫びなんてとんでもないです。
58号の場所ですが、池の脇の2本の茶色杭の間の道に入って
最初の「フェンスに囲まれた鉄塔」の脇を南へ入った場所ですかね?
59号から下ったんですが、ちょっと道を外してしまったのかなぁ…。
金属プレートについてはたしかに仰るとおり、これは問い合わせてみようと思います。
またまた情報ありがとうございます。
Muscle Turtleさん、仰る通りです。
私のその時の順路を申しますと、フェンスの北側の溝になったようなところから侵入し、溝沿いに進み井戸のようなコンクリートの穴から南に右折して南側に見える稜線の右(西)の端の尾根の上り詰めたところを目指しました。そしてそこに58号があります。ちなみに溝に沿ったのは道に迷わないように目印替わりにしただけです。
ところで前に申上げた飛び地の話ですが、以前の記事に「(池田村が)お布施で妙法寺に獅子ヶ池をあげた」という事が書かれていましたから獅子ヶ池とこの北東側の一帯は妙法寺の寺社領だったのかもしれませんね(つまり須磨村の飛び地?)。
こんばんは!
妙法寺の話、すっかり忘れていました(爆
石柱設置当時が飛び地だったかどうかは謎ですが、位置関係からえぐったような形で境界があるんだろうと思います。
ピーク巡りで見つかると思ったんだけどなぁ…甘かったです。
58号は今一度探しに行ってみます!