地蔵大滝の上流側には休憩にはうってつけの岩が広がる。ここは渡渉地点で対岸に渡り先へ。
進んですぐに道標があって、地蔵谷道は左奥に続くわけだけど、この右手に立派な石垣がある。今日の主目的はここの探索。
石垣の上に至るアプローチ。これはまさに地蔵谷の道中で見たものと同様のもの。石の感じからも同年代と思われる。
アプローチから折り返すように石階段。これも道中に見た石階段とイメージは近い。…が杭は見られない。
石垣の上は広い空間になっていて、コンクリの基礎が見られる。基礎にはいくつも穴が開けられていて、柱の穴ではなく水抜きのよう。
一見きれいに片付けられているように見えるものの、このようにガラスがある。磨りガラスのようだ。透明のガラスも転がっている。
外壁あるいは床材に使われいたであろうタイルも転がっていた。手で強引に曲げると割れる程度の強度。
おそらく3㎡くらいの基礎だろうと思う。一部を削ってみるとやや傾斜があるようだ。しかし結局ここに何があったかはわからない。それでも道中の縁石や階段の感じ、ここが地蔵谷の中間地点ということから、谷道の整備と堰堤工事に関わる飯場があったのではないだろうかと思う。※当初はここに供養塔があり、お地蔵様もあって、それが「地蔵谷」の由来と想像したのだけど…周辺に転がっていたタイルの破片が決め手かな。
さて、このあとどの道を歩いて帰るかは決めていなかった。先程の平坦地の奥には谷筋があるのでここを登って555Pへ。
Muscleさん、こんにちは。
いつも精力的な記事を楽しみに拝見しております。
地蔵谷の遺構は、私も以前行った際穴凹が気になった記憶があり、なるほどと記事を読まさせて頂きました。
それから、看板は危険の「危」と読めますがいかがでしょう?
ひし形に設置されていたものと思います。
kurokuwa65さん こんにちは!
kurokuwa65さんの楽しい山行、うらやましく思っています!
そういえば危険の「危」ですね!! 斜めか…そうですね! 真四角のときは斜めを疑え!を肝に命じます(笑)
MuscleTurtleさん、おはようございます。
興味深々で記事を拝見しました。
まずは市ヶ原集落。
世継山の土砂崩れは、山頂へ向かって谷止工が続いてる部分ですから、
北側エリアはしっかり住宅が残ってるんですね。
山歩きを始めた頃、市ヶ原から天狗道に向かう坂からこのエリアが見えて、
MuscleTurtleさんが見つけられた現役の耕作地と
その付近から草でも燃やしているのか、
煙が上がっているのを何度か見たことがあります。
住人がいる可能性もあったので、アンタッチャブルなエリアになっていました。
詳細が判って、少しすっきりしました。
古いタイプのフェンスですが、
市ヶ原からハーブ園東尾根に抜ける道にも同じものがあります。
確証はありませんが、ゴルフ場敷地境界のフェンスかも知れません。
次に地蔵谷。
平硝子は見つけたのですが、タイルがありましたか。
六甲砂防史などでは、どの堰堤も飯場に関する情報は掲載されておらず、
詳細は不明ですが、やはり飯場であった可能性が高いですね。
最後に学校林道のコンクリート基礎ですが、
これも確証はありませんが、写真のコンリートの雰囲気から
おそらく東山砲台(三七一高地 高射砲陣地)
関連のものではないかと推測します。
戦後すぐの航空写真でも、4本鉄塔辺りに、
人工的な平地が確認できます。
軍関連の建物があったのではないか思います。
Tokiwaさん こんにちは!
市ヶ原集落は前回の山行で小ピークがやけに気になってしまい…結果集落探索だけで小ピークも登ればよかったと思います。
あの集落の重要ポイントとして、縦走路の水場でもあった涸れた井戸と、茶屋跡(現在の転回場)、登山会広場のお地蔵さんなどがありますが、
あのピークにも何かあるのでは?と睨んでいます。
それにしても、現在もいらっしゃるのか…どうなのか。
あまり立ち入るのもあれですが、いずれにせよ現在は神戸市の土地と思われるフェンス外の通路で、”普通に歩けば”ですが「個人の敷地内を通る」という展開にはならないかと思います。
例のフェンス、そういえばありますね! すっかり忘れてました。
地蔵谷の遺構、基礎の上に積もった土を少し取り除いてみたものの、限界を感じ途中やめ。
やはりそのように感じました。
そもそもですが、地蔵谷の由来もとても気になっているところです。
昔の航空写真との比較は本当に面白いですね。今はない道があったり。
学校林道周辺はあまり見ていないのでまた見てみようと思います。
今回も色々教えていただいてありがとうございます!