なかなかのゴミエリアになっていて、空き缶の類、縦走トレランの案内、バケツなんかも転がっていた。
見逃しそうになったけど、一部にはこのように排水管も設置されている。
踏み跡が怪しくなってきた。しかしちょうど道を外したあたりまで来たので納得しておこう。というわけで今来た道をまた戻る。
縦走路を市ヶ原方面へ下っていと、世継山北面が見え、その手前に布引谷286mピークが見える。一見大きそうだけど、大きい木が茂っているだけみたい。
ピークへはここから左手を登ることにする。すぐに平坦な場所があり住居の基礎があった。割と新しそうに見える。さらに中腹にはお墓の基礎のようなもの。
とりあえず山頂に来たものの…期待するようなものは残っていなかった。”残っていない”と敢えて言ったのは、やたらと足元が固いということと、平坦であるということ。集落を一望できるこの小ピークには何かがあったに違いない。
布引谷探索の締めくくりは鶏鳴橋跡から生田川右岸道へ。ここは数度歩いている。
対岸には集落やダム工事の飯場があったと思われる。なんなら電柱もある。水瓶状の構造物なども見られる一帯。
ここらから市ヶ原の河原までは一部崩れているものの、そこそこ立派な道が続いている。最終地点は滑りやすい斜面。
今日のゴールはここでいいかな。昨日やり残したこと、見ておきたかったゴルフ場の跡、そして石塔との出会い。今まで知らなかったことが少しずつわかった。
ところで河原でビニールシートを片付けているオジ様がいた。それは明らかに昨日河原で遊んでいた若者が残したゴミだった。大きなブルーシートを畳むのをお手伝い。
関係ない話だけども、布引周辺には市ヶ原堰堤、市ヶ原砂防ダム、新市ヶ原砂防ダムがある。名称がややこしい。
今日歩いた軌跡
MuscleTurtleさん、こんばんは。
2日連続の市ヶ原探索、お疲れ様でした。
世継山の北側エリアは、
やはりいろいろ出てきますね。
ゴルフコース位置の詳細が明らかになったことで、
同定し易くなったように思います。
286Pには遺構のようなものは無かったんですね。
駐在所もあり、昭和21年頃には、
74世帯、296人が暮らしてた市ヶ原。
地形的には鎮守の神様など
祀られてても良い感じですが。。。
私も折を見て、このエリアを探索してみたいと思います。
Tokiwaさん こんばんは!
あのコース図は参考になりますね。大体あれを想定して歩くと当時のようすが納得できます。
とはいえ、現在ではノーヒントだと、ゴルフ場があったことも含めてとても想像できませんが。
戦後のそのタイミングでそれほどの世帯があったのですね。知りませんでした。
ピークも隅々見たものの…あると思ったんだけどなぁ…。
Tokiwaさんの見立てを楽しみにしています!